このブログについて

国立大学法人山形大学工学部教授の吉田司のブログです。2050年までのカーボンニュートラル社会実現に向けて、色々な情報や個人的思いを発信します。発言に責任を持つためにも、立場と名前は公開しますが、山形大学の意見を代弁するものではありません。一市民、一日本国民、一地球人として自由な発言をするためにも、所在は完全に学外です。山形大学はこのブログの内容について一切その責任を負いません。

2025年9月26日金曜日

帰国報告(フランス編),大学の国際化③

 お次はフランスへ。先日の電気化学会東北支部セミコンファレンス直後の9月9日から23日の2週間でした。朝早い便だったので、嫁さんのところ、八王子に1泊し、始発電車で羽田へ。機材はちょっと古いボーイング777でしたけど、787はこの前インドで落ちたし…。目的地はパリ、Air bnbで12泊、羽田から直行便ですが、何と北極を越え、グリーンランドの上空を越えて行きました(東向き、通常と反対方向)。

今回の用務先はフランスのNo.1エリート校、Ecole Polytechniqueでした。現在科研費で推進中のホットキャリア太陽電池について、旧知のJean-Francois Guillemoles先生にコンタクトを取ったところ、当時丁度東大に居たDaniel Suchet先生(東大とジョイントの太陽電池の大きなプログラムがあります)とつながり、今年の2月に同先生に来校講演頂き、それがきっかけで招聘された、ということでした。Ecole Polytechniqueは外国人研究者の招聘について独自の予算を持っているんですよ、スゴイ。
これがIPVF (Institut Photovoltaique Ile de France)の建物玄関、DanielさんとナノセンターのAmauryさんが写ってます(C2Nも見学させてもらいました、これまたスゴイ施設)。IPVFの建物全部、太陽電池の研究開発のためだけ。隣にはHORIBAのリサーチセンターがあります。Ecole PolytechniqueにはIPVF含め30くらいの研究所があり、パリの南側のこの地域に集まっています。フランスの「つくば」って感じですね。
着いた翌日に講演。最近は一般向けのカーボンニュートラルに関する講演とかが多かったので、久々にサイエンスだけの講演でした。気合入れて準備したものの、30分に詰め込まなくてはならず、駆け足になっちゃいました(マシンガントークは日本語でも英語でも同じ)。ホットキャリアはまだヨチヨチ歩きなんですが、それでも関心を持って聞いてもらい、沢山質問も頂きました。
研究室施設(広大なクリーンルーム)も見学、何故か家族も一緒(貴重な経験だぞ!父より)。人工光合成の研究を一緒にやろう!ということになったNegar Naghavi先生(彼女も旧知)が案内してくれました。誰だ?退屈そうにしてるお魚みたいな男の子は?
翌週には、PMC (Laboratoire Physique de la Matiere Condensee)という機関でも講演させてもらいました。そちらはゴリゴリの電気化学、薄膜電析と蓄電、エネルギー変換触媒についての話でした。現在フォーマルな共同研究プロジェクトとかが動いているわけではないんですが、フランス側の学生受入れ支援プログラム等もあるみたいで、ウチの学生が留学するための地ならしをしてきたという感じです(行けるぞ!)。
2019年の大火災に遭ったノートルダム大聖堂は修復され、再公開されています
ヴェルサイユ宮殿も久々に行きました。有名な鏡の間の鏡を作ったのがフランスの大手ガラスメーカー、Saint Gobainの発祥だそうです。それにしても、人が多かった!
Musee des Arts et Metiersに展示されていたオリジナルのボルタ電池、1701年!
同博物館の蒸気エンジン自動車、1770年!リジッドアクスルですが3輪なので必ず接地します。250年後、今のEVと比較すると工業技術の発展に感慨を覚えるのでした。Arts et Metiers博物館、理系の方には大変おススメです!
化学賞と物理学賞、2つのノーベル賞を受賞したマリー・キュリー、このバルコニーから学生と話をしていたそうです(キュリー博物館)
マリー・キュリーのオフィス、隣は実験室です
ENSCP (Ecole Nationale Superieure de Chimie de Paris)の正面玄関前に久々に立つ

世界最大の観光都市パリですから、もちろん観光もしました、美味しいものも食べました。子供たちは焼きたてのクロワッサンの美味しさに感激してました。とは言え、円安とインフレが進んだこともあり、全てについて高くなったなあ、という印象でした。例えばサンドイッチが8ユーロ。日本のと違って、美味しいフランスパンにチーズやハムがモリモリ挟まれているので、食事として満足なんですけど、1400円越え…。

で、そもそも何でフランスなのか、どうして沢山仲間がいるのかと言えば、かつてパリに留学していたからです。上述のENSCPに初めて行ったのが1999年、4半世紀前!本当に多くのことを学ばせて頂いた私の大先生、Daniel Lincot先生の研究室が当時ENSCPにありました。今やIPVFの研究ディレクターになった上述のGuillemoles先生に初めて会ったのもその時でした。だから、上の写真のENSCP玄関を何度も出入りしたんですよ。キュリー博物館も実は同じキャンパスの中にあります。なにせ住所がRue Pierre et Marie Curieです。周囲の殆どの道には学者の名前が付けられています。そこに居るだけで「フランスの学問の中心にいるんだ!」と身震いする思いでした。
Lincot先生に初めてお会いしたのは1998年のECS, ISE合同会議(パリ)でした。当時私は岐阜大助手3年目の新米先生。岐阜大に着任してから始めた化合物半導体薄膜電析について分からないことだらけで、教科書の様に必死に読み漁ったのがLincot先生の論文でした。凄く勉強になる、素晴らしい論文が沢山。上記会議でLincot先生が担当するセッションがあり、一体どんな人なのか、会うことを楽しみにしていました。良い人なのか、嫌な人なのか?果たして会ってみると、物凄く良い人!フランス訛りの決して流暢では無い英語ですが、それがまたチャーミング!サイエンス、特に太陽光発電に関する熱意は物凄くて、小さい体から周囲を虜にするエネルギーを発散するような人です。「絶対この人の研究室で勉強したい!」という願いを抱き、上記の1999年の訪問を経て初めて短期留学したのが2000年でした。
研究者としての吉田司は、このフランス留学で形作られたと言っても過言ではありません。以降何度も行き来し、多くの共著論文を出すことが出来ました。Lincot先生がリタイアしたこともあり、フランスとの交流が少し停滞していたところだったんですが、今回ホットキャリア太陽電池をきっかけに再燃したというわけです、ハイ。久しぶりにENSCPの前に立ち、あれから25年もの歳月が経ったんだな、と一人感傷にふけっていたのでした。眼がしらが熱くなる思い。
でそのLincot先生が今どうしているかと言うと、簡単にリタイアしたりしていませんよ!色々紆余曲折を経て、今はSOYPVというベンチャー会社でフレキシブルCIGS太陽電池の事業化を目指して今なお活躍中です。SOYPVはOrsay駅近くのSaclay大学のキャンパス内にあり、Cu, In, Ga合金電析をベースにしたデカイ製膜装置を見せてもらいました(写真撮影厳禁!)。
SOYPV建物の前で、Lincot先生と

順調なのかと言えば、資金繰りとか色々大変みたいです。私がとやかく言う立場ではありませんが、Lincot先生は私にとってはサイエンスの父(歳はそこまで離れてないけど)。今もなお熱く自分の夢を追いかける姿に共感しつつも、「パパ、もう充分バトンを渡したと思うよ。もうゆっくりしても良いんじゃない?」と言いたい様にも感じました。でも、相変わらずエネルギッシュ!
今回色々な人に再会し、新しい人にもお会いしました。思い出話みたいになっちゃいましたけど、これが何故大学の国際化に関わるかと言えば、やはりその価値を再確認する思いだったからです。共同研究をする理由は、例えば自分のラボでは出来ない実験が出来るから?それだけなら、何も国外に行く必要は無いですよね。どんな設備だって、どんな分野のエキスパートだって、日本国内に必ずいます。旅費も時間もかからないし、その方が効率的?言語の壁だって無いし。もちろん、そういうことではないですよ。効率の追求でもなければ、国際的なステータス向上のためでもない。国際交流にはそれ自体に意味があって、人類の共存と繁栄、恒久的な平和の追求、人類共通の文化的発展への大切な営みだとつくづく思います。
研究について、色々と議論もしましたが、Daniel SuchetさんやAmauryさんとは地球規模気候変動のこと、世界の分断と対立、トランプのアメリカ第一主義に対するEUや日本の対応、ロシア・ウクライナ戦争、日中関係の問題、など様々な話をしました。そうした課題を相互に認識すると共に、物質的経済的損得などを乗り越えて人類共通の課題に向き合おうとすること、そこに我々がサイエンス・テクノロジーを共同する意義がある、とつくづく思いました。何度も東大に行っている彼らからは「日本の学生は質問しない!」とか「フランスの学生は日本にすごく行きたがるのに、日本の学生はフランスに来てくれない!」という苦言も聞かれました…。
「国際交流にはそれ自体に意味がある」学生の皆さんには是非それを信じて、日本を飛び出してみて欲しいと心から願います。私自身がそうして育てられたように、必ずや得るものがあります。自分の中に激震が走る様な、世界の見え方が一変する様な、そういう経験をすること。一度きりの人生ですもの、めいっぱい生きようよ!




2025年9月24日水曜日

帰国報告(中国編),大学の国際化②

 またまた間が開いてしまいました。この間日米プログラムの学生受入れとか色々ありまして…。色んなことを考えさせられ、発信もしたかったのですけど、日々のことに追われておりました。

上記の学生受入れがひと段落するや否や、昨年のアメリカに続き、今夏は2つの全く違う文化圏に家族総出で渡航しました。一つはコロナ以前から5年ぶりの里帰り、中国への旅行(これは完全にプライベートですが、結局仕事の仲間にも会っている)。もう一つはフランス、パリです(これはEcole Polytechniqueへの招聘、私は仕事、家族はホリデーです)。沢山お金もかかりました(もらっている旅費ではとても足らない)。「色々旅行出来て良いでしょ?」という自慢話ではなくて、とても大切な「仕入れ」の旅行でもあります。色々と新しい学びもあり、世界の変化を感じ、これからについて考えさせられます。大学の教員ってのは「文化の先導者」であるべきだっていつも思っているのです。現実に即したことだけをやっていれば良いのではなくて(誰も問題視しないでしょうけど)、まだ起こっていないことに対して備え、現実を理想に近づけるための導きとならなくてはいけない。なので、時折国外を訪ね、今を知り、アップデートすることは大切な仕込みなのです。導きなどと言うと、何だか押し付けがましく聞こえるかも知れません。「○○でなくてはならない!」と自分の価値観を押し付けようと思っているのではありません。次の世代の人にはその人たちの考えや理想がある、それを信じ、支援すれば良い。それも一理あるでしょう。ただ、知らない人、経験も無い人に「どっちにするか決めて良いよ」と言っても、判断する根拠も持ち合わせていないでしょうから、困らせるだけです。なので、まずは知ることは大切。先生は学生にその機会を作り、何なのかを伝え、相手に考えさせて、道を見出す助けとなる。どこまでが助けであり、どこからが押し付けなのか、さじ加減は難しいところです。ともあれ、いくつかやったこと、思ったこと、について書きとめます。本当は、写真がいっぱいあるのですけど、このご時世人が写っている写真を沢山出すのは憚られるので、風景とかの写真中心でお送りします。

最初は中国、9日間。遼寧省瀋陽に義兄を、吉林省の田舎町に義母やその他親類を訪ねました。過去の訪中時には子供たちは小さかったので、今回初めて自分たちのルーツを本当に理解したと思います。言葉は通じないのに、家族として100%受け入れ、とても優しくしてくれる人たちの笑顔の本当の意味を理解したと思います。「中国は好き?嫌い?」「中国人は好き?嫌い?」というのは愚かな質問で、自分の大切な故郷であり家族です。そもそも人の絆に国境など関係しません。それは今のロシアとウクライナの関係にも当てはまるハズなんですけどね。中国の家族に即座に親しみ、甘えさえする子供たちの親としては、将来への期待がうんと高まったのでした。世界の平和と人類の共存を導く新人類?まあ、そんなプライベートな話はこれぐらいで。

旅の最後には北京にも少し滞在しました。天安門広場、万里の長城にも行き(暑かった!)。



天安門広場では9月3日の抗日戦争勝利を記念する軍事パレードの準備(観客席の設置やパレードの立ち位置を示す道路上のマーキングなど)も進められていました。今回久々に中国を訪れて一番驚いたのは、EV(特にバッテリー駆動でガソリンエンジンを持たないBEV)の普及の早さです。5年前、深圳とかはEV化が進んでいたものの、地方都市はもちろん、北京でさえEVは珍しかったです。ところが今は掛け値なしに路上の20-30%がBEV、新車に限れば恐らく80%以上がBEVです。それらの殆どが中国の国産(BYDだけじゃない!)。バッテリーが中国製なんだから当然と言えば当然。日本メーカーが焦るのも良く分かりました。だって、売るモノが無いんだから。まあ、EVのハナシは「EVシフトを考える」のシリーズで改めて書きます。まだまだ色々お伝えしたいことがある。

そして、北京でずっとお世話になったのが岐阜大時代のポスドク、今や天津師範大学の副学部長の張敬波先生です。山形大でポスドクだった殷さんも最近北京化工大学の先生になりました。

人写っちゃってますけど、まあほぼ全員公人なので…誰が誰とかは書きません。こうしてみると、自分の元で一緒に研究をした多くの仲間が学校の先生になったのですねえ。嬉しいことです。「中国は最近どうなの?」「日中の共同研究とかやりにくくなって残念」「ペロブスカイトは論文のため?実用化本気でやってると思う?」とか色々なハナシがありました。こういう研究仲間の存在も、自分にとって中国を特別な場所にしていると感じさせます。色々問題があるのが残念でならない…。自分にはどうしようもないし、何かしようとも思いません。しかし、地理的にも文化的、歴史的にも関係の深い中国は、国際化を語る上では最重要でしょう。アメリカ帝国の手先になっている今の日本の歪んだ状態そのままでアジアの恒久的な平和と共存、発展は見込めないと思います。

長くなったので中国編はここまで、次はフランス編です。

大学の国際化④Z世代の海外旅行離れ?

 電通が出している「電通報」にこんな記事がありました。 Z世代の「海外旅行離れ」は国際意識の低下を招くのか? | ウェブ電通報 曰く、海外旅行経験の有無と国際意識の低下は相関しない、というのです。まず、Z世代とは15-29歳の人だそうです。今の大学生はそのど真ん中ですね。うちの子...