皆さんはもうお読みになったでしょうか?斎藤幸平さんの著書「人新生の黙示録」。
人新世の「黙示録」(集英社シリーズ・コモン)/斎藤幸平 | 集英社 ― SHUEISHA ―
齋藤さんの肩書きは「経済思想家」となってます。そうですね、思想家だと思います。前著「人新生の資本論」が大ヒットして、当時大阪市立大准教授であられたのが、今は東京大学准教授(いっつもそうだよなー、妬みじゃないですよ)。資本論の方も読みました。「脱成長コミュニズム」がその時の方向性で、それもそうだよなーと当時思って、面白かったのですけど半分ぐらいで読むのをやめてしまいました。でも今回のは危機意識のレベルが違う。前半だけ読んでいると絶望してしまいます。斎藤さんがエライなあと思うのは、可能な限り広い視点から、世間のバイアスに流されない分析を元に持論を展開していくところです。文章表現力も私など到底及ばないレベルで、とても分かりやすく、説得力のある文章に引き込まれます。上記前半部分はもう、嫌気がさすほど正しくて、何故資本主義が人類の滅亡までの時間を急速に消費してしまうのか、全くその通りだと思います。人々は資本主義絶対の呪縛に囚われていて、変化を拒み続けることでテックエリートの餌にされています。資本主義は「クソ消費」によって資源の無駄遣いと気候崩壊を導いています。世界の終わりが迫りくることを認め、それを何としても回避するための思想に至り、行動しなければ確実に我々が記憶する「世界」はその終わりを迎えると思います(「地球」は無くなりません)。
これからの社会を創っていく学生の皆さんは、是非読むことをお勧めします。特に「ものづくり」の価値をナイーブに信じている工学部の学生さんにはショックだと思います。上の話だけだと「絶望」しかない様ですが、そうではありません。終末までの時間がもう長くはない。それは残念ながらそうです。だから今こそそれに向き合わなくてはならない。この本を入手してからタラタラとなかなか読み進まなかった(色々考えてしまって読むのが遅いです)のですが、後述のように、今夏中国を再訪(去年の夏に続き)している間に読み終えました。最後まで読むと、絶望しないためのメッセージがあることが分かります。斎藤さん言うところの「暗黒社会主義」に生き残りへの道が開かれる。「暗黒」などと言えばやっぱり絶望的な状況しかイメージ出来ないんですが、それは違います。「社会主義」はその前例からトップダウンの恐怖社会を連想させますが、それも違います。社会主義とは人民が互助する仕組みづくりであって、個人主義、民主主義を排除し、国家というシステムを強固にすることと同一ではないのです。今一番大切なのは、無駄遣いをやめ、戦争をやめ、如何にして共存し、持続する幸せな世界を実現するのか、ということに尽きると思います。斎藤さんの「暗黒社会主義」に共感はします。ただ、80億を超える人々、色々な境遇にある人々が協働し、その実現を目指せるのかと言えば、可能性は限りなくゼロに近いと思います。斎藤さんを越えるアイデアが浮かぶかと言えば、無理です。自分には賢さが足りません。少なくとも、考え続けること、訴え続けることの大切さを再確認させてくれたこの本に感謝します。言い訳ではなくて、これからの世界により大きな役割を果たすのは私ではなくて、若い学生諸君です。だから、今この時に是非この本を手に取って下さい。
さてさて、中国のハナシ。去年と同様、家族の帰省が目的だったのですが、中国、遼寧省、吉林省に行ってきました。個人的にとても大切なことがあったのですけど、それはここには書きません。例のEVだらけ、ということについては1年前と大きく印象が変わったわけではありませんが、今やレギュラーガソリンが日本円換算で202円/リットルと中国の方がずっと高いことに驚きました。イラン戦争や円安の影響もあるのかも知れませんが、ガソリンが高いのはEVに誘導する政策の一つなのでしょう。太陽光パネル、EV充電施設の充実、エネルギー自給と安定化、クリーン化(実際都市部の空気は綺麗です)、持続可能な仕組みづくりという点で圧倒的に中国の方が進んでいます。一方で人の無駄遣い度は日本よりも酷いかも知れません。ゴミを出し過ぎです。要するに、これらの変化は人々の意識の向上からもたらされているのではなく、トップダウンで進められているということです。瀋陽から吉林省の義母のところに向かう田舎(立派な高速道路が通っています)は相変わらず緑豊かで、「こんなに食うのか?」と思う程延々とうもろこし畑が広がっていました(とても美味しい)。ど田舎でも街灯が太陽電池+LEDだったり、開発の成果は及んでいるものの、相変わらず民家はかなりお粗末で、自分にはとても無理!道端では丁度シーズンのスイカが山ほど並び(これも美味しい!)、誰も飢えてはいない、食糧が豊富であること、さらに自給されていることに気付かされました。そうなんです。14億の民が飢えていないのです。義兄の豪邸から田舎のボロ家(失礼!)まで、食べきれない御馳走から簡素(でも大抵旨い!)な食事まで、センスと品質が共に高い新中華ブランドのファッション(結構良いモノです)から相変わらず上半身裸で短パン+サンダルの東北のオッサンファッションまで、格差はあれど、斎藤さん言うところの「コモンズ」いわゆる「衣・食・住」を14億人分満たしているのです。それって凄いこと。改めて中国の実力はそこにあるのではないかと気づきました。実は義父のお墓参りの時、とうもろこし畑の中をしばらく歩いたですけど、臭いのなんのって。どうやら化学肥料は殆ど使っていない「有機栽培」のようです。それでこれだけ大量のとうもろこしを作れる?循環型持続可能農業?だとしたら、物凄いことですよ。恐らくはそれも環境意識とかいうことじゃなくて、コスト的に安いから出来上がった仕組みなのだと思いますが、14億の胃袋を満たし続けることが出来る能力、これは本当に凄いです。
そして今日の中国は知ってのとおり軍事強国であり、AI、ロボット、宇宙などあらゆる先端分野で米国に匹敵し、電池産業などは圧倒的に世界一です。レアアースのことなども、しっかり先を読んで来るべき時に備えてきたからであり、かなりエゲツナイ手を使ってでもグローバルに資源や食料の確保に取組んできた成果です。中国のリーダーの先見性、賢さを認めざるを得ません。人口がついに中国を上回ったインドも今のところ飢えてはいませんが、どうして発展出来ないのかと言えば、個人の所有を認める民主主義、資本主義陣営に組み入れられているからです。政府は調整役をしているに過ぎず、それを「民意」だと国民に説明して無策に陥ります。そのまま膨張を続ければ、生存する人と見捨てられる人が区別される選民思想(ファシズム)に突入します。それは一番恐ろしい社会ですね。しかし民主主義は捨てられない。人権、平等、表現の自由は人として生き、人生に意味を与えるために絶対必要なこと。だから私は中国では生きられない。しかし「国旗損壊罪」を成立させる日本に表現の自由はあるのか?個人の自由や所有を奪う全体主義にしか生き残る道は無いのか?もしもボトムアップ式に、分かち合うこと、持続可能であることを最優先とする社会主義を選択出来るならば、それは民主主義でもあるのか?現実には、民意によってそれを選択することは極めて困難と思えます。例えば、庭から石油が出てきた人に「掘るな」と言ってそれを取り上げるなんて出来ないでしょう。100年にも満たない戦後に辿ってきた歴史だけを見れば、個人が取るに足らぬ存在として蹂躙され、「全ては国家のため」の恐怖社会として中国が発展してきた様に思えますが、それは本当にそうでしょうか?今回の中国旅行で浮かび上がった最大のクエスチョン、ある意味「希望の光」はそれです。14億の胃袋を満たす実力を目の当たりにした時、「全ては人民のため」が中国共産党の本質であり、それは今も変わっていないのかも知れない、と思えました。ちょっと好意的過ぎますかね?
斎藤さんが提示する「暗黒社会主義」への自発的変化は残念ながら期待出来ないです。資本主義のバージョンアップではなく、資本主義を捨てなければ日本を含む資本主義国家は困窮し、衰退するか戦争を起こして自滅します(多分後者)。全員が生き残ることはとても出来ない。しかし、核戦争が起こったりしなければ、ひょっとすると中国だけは生き残ることが出来るのかも知れない。但し、生き残るに値するのは「中華民族」だけですけど。「人民のため」が支配のための偽りではなく、本当の同胞愛から発せられているのであるならば、世界が滅亡しても中華民族は滅亡しないかも知れません。昨今の中国に恐怖しか感じないのは、アメリカを打倒すること、追い付き、追い越すことが目的化してしまっているからでしょう。そうこうしているうちに(やはり戦争にならなければ、ですけど)世界は困窮し、競争に勝つことよりも安定と秩序を守り、持続することが重大な目標になります。その時、実力を蓄えた中国は衰退するアメリカを横目に持続する中華民族の繁栄を実現するかも知れません。今の中国は貧富の格差が甚だしい社会ですが、個人の所有などそもそも認められていないのです。いざとなれば、富裕層から富を取り上げ、全ての民が生き残るためにそれを分け与えることが出来るのです。同胞愛の名のもとに。やっぱり私は中国では生きられないですけど、ちょっとそういうのを信じたくなっちゃいました。中国共産党は人民を食い物にするモンスターではないでしょ。資本主義の過剰消費によって人々を食い物にしているモンスターがGAFAMじゃない?
斎藤幸平先生、どう思います?欧米さらには日本といった列強との戦いにおいて、あるいはその内戦でも、中国の過去には確かに多くの恐怖を感じる、人権を踏みにじる出来事がありました。しかしそれは中華民族の本質であるのか?中国のエボリューションによって持続可能な世界が実現する、というシナリオはあり得ないのでしょうか?少なくとも、アメリカが自発的に変化することよりも可能性が高い様に思えます。

