このブログについて

国立大学法人山形大学工学部教授の吉田司のブログです。2050年までのカーボンニュートラル社会実現に向けて、色々な情報や個人的思いを発信します。発言に責任を持つためにも、立場と名前は公開しますが、山形大学の意見を代弁するものではありません。一市民、一日本国民、一地球人として自由な発言をするためにも、所在は完全に学外です。山形大学はこのブログの内容について一切その責任を負いません。

2022年4月25日月曜日

ヒューマン・エイジ

 昨日からNHKスペシャルで「ヒューマン・エイジ」という新しいシリーズが始まりました。

「ヒューマン・エイジ 人間の時代 プロローグ さらなる繁栄か破滅か」 - NHKスペシャル - NHK

これから何回かに分けて色々な視点からの番組が計画されているようです。でも、そもそもヒューマン・エイジという言葉で何を伝えたいのか?まあ、第一回を見た限りでは、「人新世」を言い換えただけと思いました。斎藤幸平さんも登場したしね。

番組の最初では、火星移住の話が中心でしたが、打って変わってそこに至るまでの人が生み出した技術的進歩の速さを考察する上で、人が集団生活を営む様になったことで、一旦生み出された技術が失われず、その上に付け足し進化させることでその急速な発展を可能とする、「集団脳」がその根源にあるというホモサピエンスの特質(ネアンデルタール人は家族単位で暮らし、コミュニティーを作らなかったらしい)へと展開します。そして、その集団の能力はコミュニティーが大きい程進化の速度を速めて、大きな繁栄を築くんだけど、歴史を振り返ると、どの文明も必ず終わっていて、その終わり方も含めて、どんどん規模が大きくなっているんですよね。そこで、現代の戦争にまで言及したところは、お、プロデューサー考えてるね!と思いました。

良いなと思ったのは、色々な視点が入っていることですかね。宇宙に挑戦する人の飽くなき欲求や夢の実現への意欲、探求心を賞賛すると共に、それがもたらす可能性の大きさや明るい未来を描いているところもあります。ところが一方では、それは自然発生的であって、別に一部の天才の存在によって成し遂げられた様なことではないこと、そしてそうした文明の発展は過去に何度も繰り返されているけれど、それは必ず破局しているという過去。少し前なら、前者の夢の部分をクローズアップした番組がほとんどだったと思う。ところが、今はそうした文明、繁栄が終わってしまうかも知れない、ということが現実的に目の前に突き付けられている時代ですから、終わることへの警戒感も同時に訴えられていましたね。

自分自身の物の見方が変わったなあ、とも思いました。30代くらいまでの私だったら、ワクワクする、光り輝く未来の明の部分しか興味無かったと思います。そして、「それを成し遂げるのは私だ!」ぐらいのことを言っていたと思います。それは経験を積み重ねることによってより広くを見通せる様になった進歩なのか、あるいは単に年老いて「馬鹿なことはおよしなさい」と言ってしまうようになっただけの退化なのか。夢にチャレンジしようとしている人に、やめろと言うのは良くないですけど、火星移住とかっていうのは、もはや古臭い夢の様にも思えるんですよね。空を飛び、音速の壁を破り、宇宙に行き、月に行き、火星に行き、その次は金星にしますか?昔の延長上で考えられたことばかりです。今、私たちは有限な地球の資源や気候を維持する仕組みの問題を知るに至り、持続可能な生き方を模索することの重要性に気付きました。その集団脳を人類の破滅を回避することに活かせるのであれば、我々は終焉を迎えることなく幸せを維持できるのかも知れません。しかし、私には火星移住を熱っぽく語るイーロンマスク氏も恐竜世代の生き残りの様にしか見えませんでした。未来に対する暗の部分の方がクローズアップされてしまいます。それは決して、現在抱える問題のことだけではなくて、人の進化の無さ故に繰り返される破滅が、この上なく巨大化するということへの心配からです。

集団脳において、突出した優れた頭脳の存在は重要ではない、ということが印象に残りました。そして、その繁栄が何に支えられているのかは常に明確ではなくて、ただ進歩と拡大を続けるという仕組みが機能するので、人々は慢心し、やってはならないことと分かっているハズなのに同じ過ちを繰り返して、何度も破滅と再生を繰り返してきた、という話も啓示に満ちている様に思いました。その通りじゃないですか?そして、集団脳がインターネットによって、地球上の全ての人を結びつけるほど巨大化し、繁栄も地球規模となった今日、その終焉は世界の終わりとなって、全ての人類を巻込むことになります。もはや、地域的な帝国の栄枯盛衰のレベルではないのです。世界の終わりの始まりが、このウクライナ戦争である様に思えてなりません。反省したり、修正したりするメカニズムが全く作用していないんです。

だから、斎藤幸平さんも、グレタトゥンベリらZ世代が巻き起こす変革に期待しているようですね。夢をみることをおよしなさいとは言いません、ただ、火星移住なんていう古臭い夢を語っているのは、不勉強故ではないかと思います。Z世代はもっと賢くなって、人類にとって一番大切なものを守り育む世界を創っていって欲しいですね。そして、年寄りはいい加減黙りなさい、退場です。あんたらはそんなに偉くない。反省しなさい。今の惨状は自分たちのせいであることを自覚せよ。自分の古臭い成功神話にしがみつくな。

2022年4月15日金曜日

JR東日本「ロシア語案内隠し」を通して見える日本人

 皆さん、このニュースをご存知でしょうか?ぶったまげて、最初笑ってしまいましたが、何とも悩ましいニュースです。

JR東日本 駅のロシア語案内板 覆い隠すも批判受けて元の状態に | NHK | ロシア

JR東日本の駅には、ロシア語での案内標識もあるそうですが(さすが東京)、ロシアによるウクライナへの軍事侵攻が始まり、幾人かの乗客が「不快だ」と言ったとかで、その標識を「調整中」と書かれた紙で覆ったそうです。JR東日本ともあろう、大きな会社が。そして、逆にSNS上で「それは差別だ」という批判が相次いで、「やっぱりやめます」とその覆いを取り除いた、というニュースです。それだけのこと?と思うかも知れませんが、そこに今回の事態に対する日本人の本当の反応と、自らに明確な判断基準が無く、「お客様本位」で流されてしまう、全体主義的な怖さが隠れていると感じました。

どっちが正しいのか?といえば、言うまでもなく良識のある判断は、何もしない、ということであったと思います。見たわけじゃないし、私はそこに関わっていませんけど、SNS上での反発の方が当然です。繰り返し書いていることですが、ロシアによる軍事侵攻は非難されるべきことですが、それをもってロシア人は悪だ、ロシア人なんて見たくない、そいつらが話す言葉が日本の路上にあるなんて不快極まりない、というのは完全に間違っています。今の状況を見れば、ウクライナの人々への同情とロシアの蛮行に対する憎悪を禁じ得ないのは当然ですが、背景を学びもせず、過去と未来に思いを馳せることもせず、単純に善悪を二極化して自らの正義感に燃えている人は、世界に対立と憎悪を広めて、反省もせず、世界を戦争の時代に引き戻すことに加担してしまう人たちです。もちろん、紛争の解決手段として暴力を振るったロシアが非難されるのは当然ですが、この様な事態を招いたことについてはアメリカやEU、そして日本も同じぐらい罪を犯してきたということを理解すべきです。

JR東日本ほどの大きな会社であれば、社内には良識のある知識人も少なからずいらっしゃると思います。現場が「お客さんから苦情があるんで、隠そうかと思います」と言ってきたとして「いや、それはマズいよ」と制止する人はいなかったんでしょうか。お客様本位というよりは、ただただトラブルを避けたいだけの、思考停止状態における反射的反応としか思えません。でもきっと1日ぐらいはかけて、わざわざ覆い隠す紙を準備して、いくつもある標識を隠す作業を職員にさせたのですよ!JR東日本には「こうであるべき」という様な思想やその主体が存在していないということですね。SNS上での反発を受けて「差別であるという誤解を与えないために」という苦し紛れの説明をするのも、同様に反対方向の反射的反応をしたに過ぎず、結局どうあるべきと考えているのか、に対する思考はそこに入っていないようです。

それだけのこと?と思うことなかれ。この一連のドタバタからは、日本人の典型的な行動様式とその危険性が見えてきます。多様性を許容するキャパシティーが無く、依存と甘えが強い日本社会においては、思考停止して主流に従う全体主義に陥りやすいです。今回の戦争で、ロシアが悪、アメリカを中心とする西側が善、という単純な二極化を強調すれば、それが一番分かりやすく、考えないでそれに従っておくのが無難だ、となります。もちろん、世界からロシアを消去することで、世界の秩序と平和が保たれるわけではないのです。「和」という言葉が大好きな日本人(私は、ある意味では好きですが、実際目の当たりにする範囲においては嫌いです)。事なかれ主義、多勢に無勢、目先の対立を避けるためなら喜んで思考停止し、犠牲となる少数派には目をつむる(障害者、LGBTQ、女性や外国人は差別される)。だから、80年前の戦争となってしまったのではないのか?気づきがない、反省がない、学びがない、成長がない。想像してみてください。もしも中国が台湾に軍事侵攻したら?日本中にある中国語の案内標識を全部撤去しますか?

2022年4月9日土曜日

ウクライナ6

 ロシアによるウクライナへの軍事侵攻が、いよいよ大変なことになってきています。連日報道されている通りですが、首都キエフ改めキーウ周辺からロシア軍が撤退する一方、北はハリコフ改めハルキウからクリミア半島までの東部が激戦地と化しています。特に酷いのはマリウポリの攻防戦ですが、ドネツク州全体で戦闘が激化しているみたいです。やはり、ロシアの目論見としてはウクライナ東部での完全勝利と占拠で、これを根拠として僅かに残された(ロシアから連れてくる?)親ロシア派住民の総意を勝手な根拠として独立を強引に認めさせ、それをもって軍事作戦完了を宣言することだろうと思います。ウクライナ全土を占領することなど、到底無理であることが分かり、戦力を東部に集中させているんでしょうね。

では、一方のウクライナ政府が、これ以上一般市民の犠牲が増えることを嫌ってロシアに譲歩し、東部ウクライナの独立を認めるかと言えば、それもありそうにないです。EUのフォン・デア・ライエンさんはキーウに乗り込み、ゼレンスキー大統領とも会ってEU(NATO)による軍事支援強化を約束しました。前線で死ぬのはウクライナ人ですが、巨大な火力を用いてロシアに徹底抗戦し、ロシアが東部の独立を勝手に宣言したところで、実質的な掌握が不可能なぐらいに軍事攻撃(防戦ではなくて、東部に駐留するロシア軍への攻撃)の手を緩めないでしょう。一般市民は可能であれば、どうにしかして現地を離れて西部に避難して欲しい。ロシア軍が撤退したキーウ北部で市民が惨殺された様子も報道されていますけど、無差別攻撃が行われていることは明らかです。一般の住居、高層集合住宅などが破壊されつくしている様子を見ても、軍事施設を狙った攻撃ではないです。となれば、是が非でも占拠し勝利したいウクライナ東部では、人道的配慮など期待すべくもないです。電気も水道も、食料も無い中で、まだ多くの市民が東部に取り残されていると聞きます。逃げない限り、全てのそうした人たちが死に追いやられることになります。そもそも戦争に配慮も何もあったものではありません。殺すか殺されるかの場面になれば、人は狂気に追い立てられて、自分を害する恐れがある存在は(老人、女性、子供でさえ)全て殺戮の対象となってしまうでしょう。だから、逃げて欲しいけど、もはや逃げることさえ出来ないのかと思います。ウクライナ軍が決して屈服しないという姿勢で戦い、米国やEU、NATOが強力な軍事支援を続ければ、下手をすると数年に渡って戦闘が続き、ウクライナ東部は破壊され尽くし、再び人が住むことが出来ない様な場所になってしまうことでしょう。そして今後は、ウクライナ軍による反撃によってもウクライナ市民が犠牲になることになります(きっと人間の盾に利用されますよ)。さらに恐ろしいのは、窮地に追い込まれたロシア軍が化学兵器、生物兵器、さらには核兵器まで使ってしまうことです。そうなったら、下手をすれば数十万、数百万の人命が失われることになり、東ウクライナが仮に独立したとしても、数十年に渡って人が住めない様な場所になってしまうことでしょう。

戦争は、かくも無益なことであり、失われることばかりで得るもののない、憎むべきことだとつくづく思います。互いの正義を振りかざして勝者と敗者が決まるまで戦争を続けるつもりなんでしょうか?一刻も早くやめて欲しい。紛争は対話によってのみ解決すべきであり、どれ程対話が難しい相手であっても決して手を出して、暴力によって相手を屈服させようとしてはいけないのです。連日の報道で、この地域に無関心であった人でも「ウクライナの人が可哀そう、ロシアが悪い」とは思うでしょう。実際もそうだとは思いますが、でもだからと言って徹底抗戦することがウクライナの人たちがとるべき行動だとも思いません。非暴力不服従を貫いても良いのではないかと思います。その時に、他国も仲裁に入って力で屈服させようとすることへの非暴力の抵抗に加担したら良いと思います。

だから、対話がとても重要なんですけど、対話の窓口を閉ざそうとするG7各国の姿勢が理解出来ません。

日本駐在のロシア外交官ら8人追放 ウクライナ情勢で 外務省 | NHK | ウクライナ情勢

昨日、岸田首相がロシアへの追加制裁を発表しましたが、これに加えて日本駐在のロシア外交官を国外に追放することも発表されました。確かに、ロシアが行っていることは決して許されることではありませんが、「お前は悪いヤツだから出ていけ!」と言って対話の窓口である大使館員を国外追放して良いのでしょうか?むしろロシアがしていることは悪いことで、それを止める必要があるのだから、そのための対話の窓口はより大切になるのではないですか?「お前なんか見たくもない、口もきかない!」と言うことで何が解決するのでしょうか?追い出してしまったのは、外交官ですよ。圧力をかけるどころか、ロシアと日本の関係が失われて、停戦に向けた行動において日本が無力化されるだけではないですか。これは日本だけでなくて、G7各国も外交官の追放を決めているようです。日本はそれに同調したのでしょう。しかし、それが問題解決への適切な方法とは思えないです。むしろ、希望が失われている様に思います。こうした行動を取れば、北方領土についての希望が完全に失われるだけでなく、北朝鮮に拉致された人たちが帰国出来る希望も同時に失われます。自分と考えの合わない人とは対話もしない、というのを外交とは言いません。北朝鮮もどんどんミサイルを撃つでしょう。中国による台湾への進行も抑止出来ません。「暴力は絶対ダメ、話し合いなさい」はいつも子供たちに言い聞かせることじゃないですか?自らはそうすることが出来ない大人は悪い見本ですね。そんな人たちがリーダーを自認しているんですか。だからみんな死んで、全てが失われるまで殺し合いをやめられないんです。政治家の皆さんは、パパとママに教えてもらったことを思い出して。ケンカはダメ!

再エネ施設見学ツアー

 YUCaN学生部会のメンバーで奥会津にある再エネ施設見学ツアーに行ってきました。最初の目的地は以前このブログでも紹介した、道の駅かねやまの中にある、「みお里」です。只見川沿いの水力発電の開発の歴史などを紹介する施設で、2020年にオープン、無料です!今回、総勢12名、山形大学の学生の訪問ということもあり、なんと施設の職員の方2名がアテンドして下さり、展示内容のガイドを頂きました。ありがとうございました!

昼食後は、雪がまだ沢山残る、沼沢湖に立ち寄りました。沼沢湖は天然のカルデラ湖ですが、只見川とつながる地底トンネルがあり、出力470MWの沼沢第二発電所が地底にあるそうです(見てみたい!)。揚水式発電で、電力が余った時には只見川の水を沼沢湖に汲み上げて、電力を貯蔵する仕組みです(高低差が200メートルもあります)。理想的な電力貯蔵システムですが、なかなかこんな仕掛けを導入出来る適地は少ないですね。

最後は、これは私も初めて行った、柳津西山地熱発電所です。発電所の施設は外からしか見ることが出来ませんが、PR館があり、その中に地熱発電の仕組みなどが紹介されています。

地熱発電ってのは、どういう仕組みなのか良く分かっておりませんでした。他の施設でも、写真の背後に写っている巨大なバケツみたいなのがいつもありますが、あれは冷却塔であることが分かりました。地底のマグマ近くで加熱された地下水は、300℃以上の高温高圧状態で、これを大気下に持ってくれば勝手に気化して水蒸気になるはずです。その力でタービンを回して発電するまでは分かるのですが、その後の地下水は捨てているものだと思っていました。しかし、それは再び地中に戻されて循環しているんです。でも、どうやって一旦低温且つ大気圧になった水を高温高圧の地下に戻すのか不思議に思いました。加圧して戻しているわけない(エネルギーを失う)からです。詳しくはまだ分からないんですが、どうも地中での地下水の大循環を利用しているらしいです。マグマで温められた高温の地下水は、上昇して徐々に冷やされ、再び下降流となってマグマの方に向かう循環があり、それが地上に吹き出せば温泉ですが、地熱発電をやっている様な場所では水を通しにくい粘土層があり、それが遮ることで地底での水の循環が起こっているんです。それで、上昇流のところに吸出し用のパイプがあり、それを地上に持ってきて発電用タービンを回します。その水蒸気が水に戻る様に冷却しているのが写真のバケツ状の冷却塔です。そして冷却された水は地底大循環の下降流のところに放出されます。そうすると、その大循環に引き込まれる様にして水はマグマに向かって流れていき、再び加圧され高温になって上昇流になる、というわけです(それで理解合ってるかな?)。なので、地底の水循環をしっかり調査して、どこから水を汲み上げ、どこに水を戻すかを決めているらしいです。それをやれば、ほぼ永久にマグマの熱からエネルギーを少しずつ取り出せるわけですね。かなり緻密な調査が必要で、簡単ではないなという印象です。そもそも、温泉水はお風呂に使った方がよほどお金になるので、温泉大国日本ではありますが、それをわざわざ発電に使うというのはなかなか経済的に成立しにくいですねえ。この柳津西山地熱発電所もかなり大がかりな施設でしたが、発電能力は50MWということで、正直、大したことないなあと思いました。地熱発電が最も大規模に行われているのはアメリカだそうで、総出力は3GWを越えています。それでも、全体の電力供給能力に占める割合は僅かですね。
再エネ施設ツアーの詳細は、YUCaN学生部会から報告があると思いますので、是非そちらを見て下さい。旅の終わりに、米沢のすぐ近くにある川西ソーラーパークをちょっと眺めに行きました。

地元にこんなに大規模なソーラーファームがあることを知らなかった人も多かったみたいです。スキー場の跡地に建設されているということもあって、4月の今もまだ多くの雪が残っています。太陽電池パネルは雪に埋まらないように、みんな足の長い架台の上にあって、地上よりだいぶ高くに設置されていますが・・・写真を良く見てください。大規模に壊れていました。何しろ、この冬はとんでもない豪雪の年でしたから、さすがに雪の重さに耐えきれなかったのか、恐らく雪崩もあって、パネルを支える台座が壊れてしまったようです。パネル自体も損傷している可能性が高いですね。太陽電池は、もちろん安くなったとはいえ、20年ぐらいメンテフリーで発電し続けることが期待されています。ところがこんなことになると、全く採算が取れないうちに施設が壊れてしまうことになります(川西ソーラーパークはまだ建設途中ですよ)。豪雪だけでなくて、巨大台風や地震による設備の損傷も考えられます。温暖化のために今後は異常気象の頻発が予想されますから、こうした再エネ施設自体の災害対策を念入りにしないと元も子もないことになっちゃいますね。


2022年4月5日火曜日

GHG削減目標不十分!

 気候変動に関する政府間パネル、IPCCの、第3作業部会(WG3)の8年ぶりとなる6次評価報告書が公開されました。WG3は気候変動の緩和、必要な対策の提言と効果の見積もりに関するので、これからの社会生活がどう変わるのかを予測する上で大変重要です。

気候変動に関する政府間パネル(IPCC)第6次評価報告書第3作業部会報告書を公表します (METI/経済産業省)

“温室効果ガスさらに排出削減を” 国連のIPCCが8年ぶり報告書 | NHK | 環境

炭素半減に最大30兆ドル必要 IPCC、再生エネに投資促す: 日本経済新聞 (nikkei.com)

IPCC報告書要旨「CCSで1兆トン貯留可能」、障壁は多く : 日本経済新聞 (nikkei.com)

予想できた通りと言えば、その通りなんですが、極めて残念で厳しい内容となっています。まず、これだけ世界中で気候変動対策の重要性が認識されている中でも、年間のGHG排出量は世界全体では増え続けている(=温暖化の進行は加速している)ということを認識していなくてはなりません。一部の地域では再エネ導入、エネルギー効率向上、製造業の他国へのシフトなどにより年間GHG排出量は減少に転じていますが(出していないということではないですよ)、新興国や途上国におけるエネルギー消費増大がこれを打ち消して、世界全体では相変わらずGHG排出の伸びは加速しています(ここ10年ぐらいはやや「伸びが鈍化」している程度)。世界的なコロナウイルス感染拡大の影響で、2020年は少し減少したものの、やはりリバウンドして、2021年は過去最大を記録したそうです。さらにウクライナへのロシアの軍事侵攻が始まり、世界は協調どころか対立を深めています。暴走列車はスピードを落とすどころか、その終わりに向けて加速を続けています。

そのうえで、気温上昇が正のフィードバックループに乗って後戻り出来ない状況とならないための限界値、Tipping Pointと考えられている、産業革命以前からの気温上昇を+1.5℃以内(現在既に+1.1℃)に抑制するためには、2025年までに(あと3年!)減少に転じ、2030年には2019年比で-43%、2050年に-84%の大幅削減が必要である、と結論されています。「あれ、日本は2030年に-46%、2050年に-100%(カーボンニュートラル)だから、楽勝じゃん!」とか思わないように。これはグローバル、世界全体で、という意味です。エネルギーインテンシブな製造業を他国に押し付けて、非製造業分野での経済成長を担保した上でのGHG削減を一部の先進国が果たしたとしても、それは他国でのGHG排出増に貢献しているだけで、グローバルな削減には貢献出来ていません。この報告を受けて、国連のグテーレス事務総長も、やはりウクライナの戦争のことに言及しています。エネルギーや穀物の価格を押し上げて、国際的な協調をより困難にすると予想されます。エネルギー価格が上がれば消費が落ち込んでGHGが減るかと言えば、さにあらずです。効率やGHG抑制が後回しになり、世界の分断と対立がエネルギー獲得合戦に影を落とし、GHG排出を加速させます。実際、ロシアからの天然ガス禁輸を視野に入れて、ドイツでは封印する予定だった石炭火力発電の延長運転を決めています。だから、世界の平和と協調は気候変動との戦いのための大前提であり、それが損なわれていることへの嘆きをこのブログでも何度も取り上げているのです。

さて、その上でIPCCの報告書は「打つ手ナシ!」と言っているのではありません。必要とされる対策を具体的に示しています。ただ、それを見るとかなり絶望的な気持ちにならざるを得ません。最も効果が高いのは、やはりエネルギー分野での脱炭素化を進めることで、コストが下がってきた風力発電や太陽光発電を主力とするエネルギー供給の大転換を求めています。そして、再エネ由来の水素やメタンの活用も貯蔵出来るエネルギーとして拡大が期待されていますが、これはまだ技術開発途上です。運輸ではEVの効果が高いと言っていますが、これはもちろん電源の脱炭素とセットでなくてはなりません。脱希少元素も必要です。一方、やはり出す量を減らすだけでは難しく、例えばセメント産業で大量のCO2が出ることは避けられないので、地中にCO2を埋めるCCSも不可欠と考えられていて、CCSによるCO2貯蔵量の最大ポテンシャルは1兆トンにも及ぶと試算されていますが、技術、コストの観点だけでなくて、どこに埋めて誰が管理するのか、なども考えるとこの世界的な対立の中でそれが健全に進められるとはとても思えません。だから、先にも書いた通り、CCSは心理的な逃げ道を与えているだけなので、ひとまず封印した方が良いと思うのです。

それで、脱炭素を加速して上記の目標を達成するのに必要と見積もられているコストが衝撃です。2030年時点でグローバルなGHG排出を半減するために必要な設備投資が30兆ドル(3680兆円)だそうです。次の8年間で、ということです。実際今どれぐらいかと言えば、クリーンエネルギー関連投資が世界全体で1兆ドル程度だそうです。米国の全設備投資額が2.8兆ドル/年だそうですから、それを全部つぎ込んでも足らない。誰がどれだけの負担をするのか、なんていう話がまとまるわけもないことは、明らかです。従って、まだ可能性はある、我々は分岐点に立っている、やらなくてはならないことはコレです、とIPCCは真面目に報告書を出すわけですけど、世界の民衆がそれを支持しないことも明らかだし、各国のリーダーもそれを実行しようとはしないでしょう(だから政治に任せてもカーボンニュートラルは実現出来ないんです、やるのはあなた、我々自身です)。

仕方がない、と本当に言ってしまって良いのか、それは今立ち止まって考えなくてはならないと思います。この事実から目を背けてはいけません。持続しない生き方の先に、幸せはあるでしょうか?隣人を大切に思うのなら、子供や孫を大切に思うのなら、また自分が大切にされたいのなら、真剣に科学者の声を聞き、考えて行動を変えることは出来るはずです。それをせず、世界がその終わりを迎える時になってもまだ「仕方なかったんだ」と本当に言えるでしょうか?

2022年4月4日月曜日

Z世代と民主主義

 タイトルをウクライナのシリーズで、「ウクライナ6」にしようかとも思ったんですが、恐らく話の中心がウクライナではなくなるので、表題の様にしました。でも、こうした考えが頭を過ぎったのは、今起きている戦争に対する深い憂慮と暗黒の時代が繰り返されてしまう理由を考え、過去と今を見つめる中で、私の子供たちもそれに含まれる「Z世代」への期待を抱き、自らの無能さを嘆くところに至ったからです。

Z世代ってのは、1990年代中盤から2010年序盤に生まれた世代で、生まれた時からICTを常用する社会だったので、デジタルネイティブとか言われています。その手前がミレニアル世代で、ジェネレーションYとか言われていますね。アルファベットはZで終わりますから、その次は無いと?言葉に気を付けて欲しいですね。いや、うちの息子は2016年生まれなので、Zの次ですよ(α世代?)。Z世代の特徴ってのは、はじめっからデジタルツールに慣れ親しんでいるので、そこに対する壁が全く無い、画面を介したコミュニケーションと対面でのコミュニケーションの間にさして違いを感じていないことが特徴でしょうか。別にここでZ世代の分析を始めようっていうんじゃないです。それはどこか別のところを見て下さい。でも、色々な特徴が現れてきている様には思います。今の大学生はまさにZ世代です。

このブログだって、インターネットを介して公開しているわけですが、私はスマホで長い文章は書けませんので、PCのキーボードで書いています。Z世代は確かにいっつもスマホをいじっていますけど、別に長い文章を書くわけじゃないですね。だから、こういう長い文章は書かないし読まない?でも、どうにかして声を届けたい。ジェネレーションギャップがどうの、なんていうことを言い出すわけじゃないです。人間、驚く程変わらないです。嘆かわしいほど。それが良さでもあり、悪さでもある。人種や宗教が違っても、世代が違っても、人が求める幸せは同じようなもの。それが良いんだけど、それ故に民主主義ってのは成立しない。一方で社会は物理的に変化せざるを得ないし、変わることが出来る、変わらなくてはならない時に本当に来ている様に思います。その変化への力を、Z世代が持っていると信じたい。社会の仕組みが変わることで、個人の行動様式には変化が現れます。古い世代が創り上げてきた社会の仕組み、もっとストレートに言えばオジサンが支配する社会の仕組みは軌道修正程度ではどうにもならない程に錆びつき、固まり、自らそれを放棄して次の世代に委ねることも出来ない、自らでは変わることが出来ない末期的な状況、死の直前にあります。これを奪い取ってZ世代に新しい社会を創り出して欲しい。持続性のある人類社会のために。

学校でその言葉を習い、自分なりに「こういうこと」と理解してそれを信じ、支持してきたつもりであった民主主義が、実は成立さえしないまま死に絶えようとしている。本当に「民主」であるというのは実に難しいことだと思いました。「自由」と「人権」であれば何とかなります。でもそれは無視され、あるいは激しい攻撃に遭って破壊されることがありますけど。まあ、それでも「私は自由だ!」と主張すればそれは立派な自由。決して服従しないのはそれも人権。ただ、民主主義が目指すのは、社会の仕組みが民の意志を反映して変化し得るという柔軟性や多様な生き方を尊重する寛容さを持っている、ということだと思います。でもそこに人が人である故の限界があり、利害の対立によって何も決められない機能不全の状態に陥ります。表向き民主主義を標榜する社会がどう機能しているのかと言えば、「声が大きい人が決める」仕組みによってです。もちろん、本当に声が大きいという意味ではなくて、それは社会的名声である場合も少しぐらいはあるかも知れませんが、実質的には金の力のことです。今持っているお金というだけじゃなくて、金を生み出す力も含みます。使い方を誤れば、金が自分の名声を破壊することもあるかも知れませんが、上手にやれば金で名声さえ買えると思います。当然そんなものに本当の価値があるわけではなくて、個人は10年もすれば忘れられますけど、失われるのが嫌で自分の子孫に託すか、自分が支配する民に分け与えて壁の内側に留めようとするのが王政や帝国主義であり、GAFAの様な企業が肥大化するのも人ではないけど同じ現象です。要するに、資本主義が民主主義の最大の敵であり、金の力が最強である世界において民主は成立しません。しかし、誰が金にそれ程の力を与えているのかと言えば、それは我々自身であり、金の力の前においては民主などあっけなく手放してしまうのです。すなわち、資本主義を破壊し、金の力を奪わない限り、それを使って世界を支配してきたごく一部の人の力を封じて民主を実現する術はないと言えるでしょう。価値観の変化によっては、金は唯一ではない手段の一つに過ぎず、金よりも結果をより重んじることが可能になると思います。Z世代の特徴の一つは物質的欲求がその前の世代に比べて低いように感じています。それ故に、金の力を弱めさせて、持続可能であることを最上位とした社会変革を起こして、真の民主主義を獲得できるかも知れないと、期待してしまうのです。

プーチンのこれまでについてのドキュメンタリー映画と、マイケル・ムーアの華氏11/9を見ました。プーチンは、その経歴とある意味幸運にも恵まれたことで、金と軍事力という強大な力を得て、その使い方、威力の最大化の術にも長けた人物であることが良く分かりました。多くの知識人が「実利主義者のプーチンが明らかにロシアに利するところの無い今回の戦争を始めたことが信じられない」と語っていますが、強大な統一ロシアの復活とそれを成し遂げその中心にいる強いロシア皇帝となる野望を叶えるための精神論が根源であり、力を崇拝し、自らのものとする野望(と努力)は今も昔も実は変わっていないようです。ロシアの実利など、今年70歳になるプーチン自身にとってはさして重要ではないと思います。強いロシア、皆が畏敬の念を抱くロシアの復活を見ることなく、どうせあと20年程度の余生を過ごすのか、国民を道連れにしてでも自身の崇高な精神論の成就に身を投じるのか。あと20年なら後者、出来ないのならあと5年で死んでも同じこと。あの強いキャラクターならば、そう考えて不思議はありません。すなわち、狂人ではないですけど、プーチンは明らかに古い世代に属する象徴的支配者的存在であり、民主主義の敵です。

そういう専制主義のリーダーは他にも思い当たりますね。外から見て、あからさまに民主ではないんですけど、先日NHKでやっていた「サンデル教授の白熱教室」で中国の復旦大学(エリート校)の学生が語っていたことに驚きました。「民主主義って時代遅れなの?」が番組テーマで、東大などの日本の学生、ハーバード大などの米国の学生も参加のオンライン討論会。中国の学生が「中国は民主主義の国、アメリカ式民主主義と異なるだけ」と断言していました。みんなのことを良く考えて優れたリーダーが政治をする社会は民主主義だと。一方の米国側は選挙の重要性、その決定が良くても悪くても自分たちがルールを決めるのが民主主義、政治批判をしても構わない言論の自由も民主主義、と主張。まず、リーダーが民のことを考えてルールを作り、従わせることは王政の国家と同じ(良い王様か、悪い王様かの違いはあっても)で、政治批判が許されない、言論の自由が無い時点で民主とはかけ離れていますので、中国の学生の主張は全面却下させて頂きます。一方米国学生の言う選挙制度と言論の自由、これは重要な前提であって、そこは米国も(一応だけど)日本もOK。ただ社会のルールを民が決めるというプロセスが機能しているかと言えば、日本はもちろん×、じつは米国も×だと思います。なので、民主主義は時代遅れどころか、それを本当に実現出来ている国は未だに無いと思います。その認識を新たにしたのが、華氏11/9でした。2016年11月9日にドナルド・トランプが米国大統領になった悲劇を扱っているのですけど、内容はそのことだけでなくて、民主主義がどんどん遠のいていることの悲劇が伝えられていると思いました。それを阻むものは、やはり金です。金持ち(=声の大きい人)がその力を使って社会の中心に居座り、ルールを決め、そのルールによってより金持ちになる(=より大声になる)仕組み、逆にそこから取り残された貧困層は金だけでなく健康さえ奪われ、戦う力もなく、希望を失い、選挙にも行かなくなる。そういう図式です。日本ではそんなの常態化していますけど、自由の国アメリカがそうなのか!とショックでした。専制政治のリーダーは一般市民に「あなたはどうして欲しいですか?」なんて聞かないし、「うちは民主主義ですからね」などと嘘はつかないからある意味良いです。表と裏が無い。国が悪い状況に陥れば、それは王様、独裁者の責任。その全責任から逃れることは出来ないです。一方表向き民主主義を装っている国は質が悪いですね。実際には特定の人物や組織の利益(民主主義ではなく、金権主義、拝金主義ですね)を優先する不公正なルール決めをやっている一方で、民が苦しんで苦情を言ったところで「私を選挙で選んだのはあなた」というエクスキューズが根底にあります。だから、フェイク民主主義が一番悪い。精神を満たしてもお腹は満たされないけど、精神論の方がまだ純粋なのかな。生きてさえいれば良いと。NHKの石川一洋解説員も言っていましたけど、ロシア人の辛抱強さを侮ってはいけないと。食べるものも、着る物も、あればそれだけでも有難い、この精神を汚してまで贅沢など望まないくらいに。だから、最新の中立系世論調査でプーチンの支持率が80%を超えるという、我々には信じ難い様なことになるんでしょう。

専制政治においては、精神力が金の力を越えることがあるのかも知れません。しかし金と権力が結びつく社会においては、金から力を奪わない限り、民主主義は実現出来ないのです。大切なのは、価値観のシフトだろうと思います。モノは無くても、小さなスマホのスクリーン越しにつながり合い、共感できるZ世代。その声を大きくしてほしい。Z世代は世界人口の1/3を占めるそうですよ。団結し、選挙に行き(うちの娘はあと10年経たないと選挙に行けないけど)、古い世代を一掃して欲しい。今頃になってこんなことに気付き、何も出来なかった私は愚か者です。もっと早く気付いていれば、政治の道を歩むべきだったか。でも失言王の私は、きっとすぐに抹殺されていたことでしょう。それが私の能力の限界ですね。我が子には許しを請うしかないです。そして、声を発することが出来る限りは、こうした思いを未来の世代に伝えていきたいです。是非ICTの力を使って自ら見聞きし、学び、気づき、立ち止まり、考え、仲間と話し合い、さらには古い世代とも対話し、行動を起こして下さい。どっちみちオッサンは先に棺桶に入ります。あなたを妨げる人はすぐに死にます(一緒に死なない様に気を付けて!)。遠慮は要らない。私は生きてる限り応援します(私の敵よりも長く生き延びたいっていうことじゃないですよ)。

125

 「125」この数字が意味するのは何でしょう?はい、私はオートバイが大好きで、特に手に余らず、使い切れるパワーで軽量な125ccクラスのバイクが好きです。高速道路は乗れないけど、バイクで高速道路走っても、ちっとも面白くないし、二人乗りだって出来るし、燃費良くて維持費安いし。今ウチ...