長らく、2か月も中断してしまいました。すいません。
この間、書きたいことが無かったわけではないのですけど、どうにも時間が取れず、そうこうしているうちにネタが古くなり、書くべきタイミングを逸しておりました。今、是非共有したい、という話題があるわけではないのですけど、世界を取り巻く状況は全く良くならないですね。強いて言えば、コロナの状況が少し落ち着き「ウィズ コロナ」の活動が再開され始めていることがちょっとだけ明るいところでしょうか。
何より一番悪いのはウクライナの戦争がちっとも終わりそうにないこと。ロシアへの経済制裁によって、対ロシアだけでなくて世界が分断傾向にあって、モノが不足し、価格が高騰しています。その影響は世界の地域ごとで色々な形になって表れていることと思います。日本にいて、日本で暮らしているだけだと、目先のことに対する不満は募れど、きっとこんなの軽い方なんだろうと想像します。日本で得られる情報だけだと、西側諸国が形成する世論、正義と悪の構図があたかも世界中で共有されている様に思えてくるのですけど、きっとそんなことはないのだろうとも思います。日本の政治、社会経済、そして一般人の認識としても、もう世界にロシアは要らない、ロシアとの対話などすることなく安全安心な暮らしを手に入れたい、きっとそうできる、という考え方が主流になりつつある様に思えます。私は、どうにもその先に平和で安心な暮らしがあるとは思えないのです。
上記のことと完全に連動して、脱炭素への動きは明らかにスローダウンしています。やっぱり優先度は低いのです。ところが、この異常な暑さはなんでしょうか?6月の観測史上初となる40.2℃が群馬県で記録されました。これからの1か月は、洪水が心配されます。昨晩から今日の日中は、米沢のこの時期にはあまり記憶が無い雷雨に見舞われています。世界の終りを告げる様な雷鳴を聞きながら、未体験ゾーンに突入している様な恐ろしさを漠然と感じています。今が最後のチャンスの様にも思えるのですけど、社会全体にも無い焦りは、私の中にも無いと思います。確かに、焦りでは何も改善しないですし。
今G7首脳会合、もうじき参院選。世界のあり様に大きく影響する意思決定を担うリーダーの皆さんの賢さに期待して良いのでしょうか?自分が代わりを務められるわけではありませんが、自分よりも遥かにクレバーな人たちというのが世界にはいて、その人たちの賢明な選択に委ねていればきっと大丈夫、と言う気にもなれません。こうして、責任の所在などは曖昧なまま、「なるようになる」ことを繰り返しながら、私たちはその終わりに向かって突き進んでいってしまうのでしょうか?引き出すことの出来る潜在的な力が我々人類にはまだ残っている、そう信じたいですね。でも、それってやっぱり逃げてるだけだよなあ。潜在的な力は、自分の中にもあって、それを引き出すための努力をしなくてはならないと、自らを戒めないといけませんね。