あけましておめでとうございます。今年もどうぞよろしくお願いします。
年末年始米沢は大変な豪雪に見舞われ、除雪作業に追われる状況でした。新年早々に仕事をするのも良くないと思い、1月1日だけは意識的に何もしない様にしていましたが、今日から仕事再開です。その最初が更新の滞っているブログでのご挨拶。自分自身が直面する課題としては、YUCaN研究センターの年度末仕上げと講義の締めくくりぐらいですけど、卒業を間近にする学生たち、さらに身近な人たちが直面する重大な挑戦に対して、サポート役として結構大忙しでして、この正月はいつにも増して忙しい感じですね。
さて、昨年を振り返ると、「カーボンニュートラル」という言葉の社会への浸透が始まった年であったと思います。宣言が2020年の終わりごろでしたが、2021年には連日関連の話題が報道され、COP26などの重大なイベントもあって、よほどニュースに無関心でない限り勝手にその言葉が耳に入ってくる様になったと思います。それでもまだ、その本質的な重大性や実現の困難さが共有されているとは思えません。一方で、昨年末が太平洋戦争開戦から80年の節目でもあったため、どの様にして対立が深刻化して、誰も求めていなかったハズの戦争にまで発展してしまったのかを考える機会でもありました。当時と今では社会背景が違うから、同じことは起こったりしない、と楽観する向きもあるでしょう。確かに同じことにはならないでしょうが、さらに酷いことになる心配はあります。一番問題なのは、そうした失敗からの学びの無さであって、利害の対立を生む相互不信頼、異質な物を排除しようとする人間の本質は当時も今も全く変わっていない様に思えます。SDGsが訴える「多様性を受け入れ、共に生きること」の大切さを果たしてどれだけの人が本当に理解しているでしょうか?世の中に、悪事を働く明確な意思があって悪事を働いている人は殆どいません。大抵は、自分は善良だと思っていて、しかしその善意が他者にとって悪事になっているとは気づいていない場合がほとんどだと思います。視野を広く持ち、深く学び考えることで、強者の論理を弱者に押し付けない、本当の意味での優しさ、愛情が必要だと感じます。私自身も、それを学び続けないとならないとつくづく思います。
さて、2022年が始まりました。毎年、新年には「良い年でありますように」と祈るわけですが、ここ数年「良い年だったな」というよりは「大変な一年でした」となっていたことが多いと思います。耳を疑う様な悲劇に襲われ、苦しめられる人たちをまたしても見ることになるのか、最悪それは自分自身かも知れない、と心配です。悲観的に過ぎますか?でも、心配して、精一杯努力して、可能な限りの備えをして、それで結局何も起こらなかったら、それを無駄だった、とは思いません。杞憂に終わった、のほうが嬉しいです。今年はもっと行動が具体的になり、多くの人たちの協力賛同が得られる様にしたいですね。
なかなか更新しないですけど、このブログも引き続きよろしくお願いいたします!