このブログについて

国立大学法人山形大学工学部教授の吉田司のブログです。2050年までのカーボンニュートラル社会実現に向けて、色々な情報や個人的思いを発信します。発言に責任を持つためにも、立場と名前は公開しますが、山形大学の意見を代弁するものではありません。一市民、一日本国民、一地球人として自由な発言をするためにも、所在は完全に学外です。山形大学はこのブログの内容について一切その責任を負いません。

2022年2月26日土曜日

ウクライナ2

 報道されているとおり、ついにロシアによるウクライナへの軍事進攻が始まってしまいました。首都キエフでも戦闘が繰り広げられているようです。報道されているとおり、ロシアの狙いは現政権の転覆(ゼレンスキー大統領他閣僚を殺しても構わないと思っているでしょう)、親ロシアの傀儡政権の樹立、その新政府の要請により、治安維持を名目としたロシア軍のウクライナ国内への駐留でしょう。プーチン大統領の言葉を借りれば「ウクライナを占領する意図はない」のでしょうけど、これを実効支配と言うのであって、ウクライナの将来をウクライナ人が決められない状況になった時点で、彼らの祖国は消滅したも同様です。ひどい・・・。

私の友人、Dimitriev先生からしばらくメールの返信が無く、大変心配していましたが、ついさっき連絡があり、ひとまずほっとしました。しかし、戦闘がどんどん激しくなっているようです。無事でいてくれることを祈るばかりです。可能ならば今すぐ日本に来て欲しい。

このロシアの蛮行に対して、EUや米国、そしてそれに同調する形で日本も、ロシアに対する厳しい経済制裁に乗り出すようです。国連もロシアを激しく非難しています。しかし、それがプーチン大統領にとって想定済みのことであるのは明らかです。多少困るかも知れませんけど、どの様な制裁があり、どういう影響を与えるかも周到に計算済みだと思いますので、全く驚き、焦ってはいないでしょう。すなわち、軍事侵攻は止まりません。岸田首相の言う「G7をはじめとする国際社会と連携し・・・」という中の、国際社会とは何なのか?といつも思います。G7はまあ、分かるのですけど、国際社会とは具体的に存在するのでしょうか?米国に追従して、自分に見えている範囲内だけの正義感を振りかざして「プーチン、お前は悪だ!こらしめてやる!」と言うのはいいですけど、腹いせ程度にそうしたところで、当のロシアは全くひるまないでしょう。絶対にゴメンナサイとは言いませんし、軍隊も引き返しません。むしろ、対立を決定的に激化させるだけです。プーチンはプーチンの、そしてロシアの正義を振りかざしているのです。

現時点では、まだSWIFT(国際銀行間通信協会)からの締め出しは行っていないようです。SWIFTから締め出されると、ドル建ての国際取引が出来なくなるので、モノの売り買いが全くできなくなります。それはロシアに打撃ですが、EU、米国、日本にも打撃です。そこまで踏み込んだとして、それで降参するかと言えば、それもないでしょうね。きっと中国とロシアが接近して、人民元とルーブルを交換することでロシアの外貨獲得を陰で支援します。もちろん、国際的取引から追い出されたくはないので、中国は極秘にそれを実行するでしょう。北朝鮮がどうやってミサイル開発するお金を調達しているのか、不思議ですよね。そういう逃げ道はいくらでもあるでしょう。国際社会というのも、どうやら一つでは無さそうです。

後戻りがとても出来ない感じで状況が悪化し、この先に見えるのはやはり世界の分断です。鉄のカーテンが再び降りようとしています。ともすれば、日本と中国の間にもそのカーテンは及びます。それは、我が家族にとってはトンデモナイことです。絶対ダメです。55年生きてきて、今まで見た最悪の分裂劇はユーゴスラビア崩壊でしたが、今回のはスケールが違う感じがします。人類はどこまで劣化を続けるのでしょうか。プーチンだけが邪悪な様に言うのは間違っている気がします。プーチンはロシア人の求める英雄になろうとしているだけです。そもそも、どうして世界は対立し、分断に向かうのか、その背景にあるもの、人を理解することが必要と感じます。自分の幸せが他者の不幸になっているなら、それは幸せな状態じゃない。幸せの再定義が必要なようです。

2022年2月23日水曜日

ウクライナ

 連日報道されている、ウクライナ危機を注視しています。「何でロシアがウクライナに軍事侵攻するの?」と全く背景をご存知無い方は、ひとまずこれを見て下さい。

【詳しく】ロシアがウクライナに軍事攻勢?その背景に何が? | ロシア | NHKニュース

2月22日には、ウクライナ東部を独立国家として承認する、とロシアのプーチン大統領が宣言する事態となっています。ウクライナ情勢に関する最新のニュースは以下でチェックできます。

ウクライナ情勢のニュース一覧 | NHKニュース

このブログに以前も書きましたが、私は過去6回ウクライナに行きました。ウクライナの学生をポスドクとして1年間受け入れたこともありますし、今年はウクライナの先生を学振のプログラムで6月から半年間受け入れる予定になっています。ウクライナには多くの友人があります。今この状況に対して、大きな不安、恐れと共に、世界にはびこる不公正、強者による弱者の支配に強い憤りを感じています。それがどうカーボンニュートラルに関係するのか?もちろん関係します。そうした不公正、支配と搾取の構造の中での全く持続不可能な発展(?)を続けた結果が今世界全人類が直面する気候変動の問題であり、そうした人類の愚かさが正されない限り、カーボンニュートラルへの挑戦は成功しないであろうと思います。グリーンニューディールとか、グリーン成長とか、「グリーン」と付けば何でも許されるかの様な最近の風潮も、反省の無さが露わになっているかの様で、とても空しく響きます。

ロシアの言い分が正しいとか、アメリカの言い分が正しいとか、そういうことではないんです。ウクライナの将来がどうなるのかをウクライナの人々が決められない様な状況がそもそも正しくないのです。中国もまた、この状況の行く末を注視していると思います。軍事的な関与は考えられませんが、ロシアが部分的であれ、ウクライナ全土であれ、実効支配を進めることを国際的な同意の元に抑止出来ないのであれば、中国も同じことが出来るでしょう。しかし、NATOが軍事行動に出てまでロシア軍を追い払うことはあってはなりません。それは全面戦争に突入することになるからです。なので、強い経済制裁とロシアの国際社会からの孤立を進めるという脅しでロシアの行動をけん制していますが、それでプーチン大統領が「ごめんなさい」と引き返すとも思えません。アメリカのバイデン大統領が「プーチン大統領は軍事侵攻することを既に決意していると思う」と発言したのは、確たる証拠があるからではなくて、同盟国に対して踏み絵を踏ませる行為だと思います。「プーチンは本気だよ」というのを「アメリカがそう言うんだからきっと本当なんだろう」と思わせることで、同盟国に対して覚悟を問うため、その後の計画を整えるため、であると思います。いずれにしても、どうですか?結局ウクライナの人たちがどう考えているのか、何を望んでいるのか、は全く関係ないですよね。国際的な覇権争いの中でひたすら翻弄される立場です。弱い者はいつもそういう目に遭う。そういう不正義が許せません。プーチンの言い分も、バイデンの言い分も分かります。でもウクライナはウクライナの人々のものです。日本と日本人に置き換えたら分かりますよね。

今となっては、果たしていつ次にウクライナを訪れることが出来るのか、全く見通せません。かの地を訪れ、ウクライナの人たちの優しさに触れ、現地の美味しい食べ物を一緒に食べ、学問を語り合い、スラブ民族が辿ってきた歴史と今日の問題、将来への希望を学ぶ機会を得たことは、自分自身にとってとても大切な経験であったと痛感しています。何しろ、私は今ロシアの実効支配下にあるドネツクにも2度行きました。最近のニュースでも見かけた、中央広場にあるレーニン像も覚えています。当時とんでもなく大変な状況にあり、傷心していた私を優しくかくまってくれたドネツクの家族、英語は下手だけどその温かさを決して忘れることはありません。首都キエフにも何度も行き、今日に至ってその学術交流はより親密化しつつあります。心と心で分かりあえる、人と人としてつながり合える。とても大切なことです。なので、最近の報道に大変な憂いと心痛を感じるのです。そうした経験が無ければ、ロシアによる軍事侵攻の脅威も、やはり「対岸の火事」としか映らないかも知れません。

その長い歴史を証言出来るほどの知識は持っていないですけど、ウクライナの東部と西部では全く人々の考え方が違います。東部のドネツクやルガンスクに暮らすのは、ロシア系住民が多く、ロシア語を話しますし、私の友人もI am a Russian!と何のためらいも無く言います。一方首都キエフのある西部はウクライナ人としてのアイデンティティーを強く持っていて、ウクライナ語を話しますし、ウクライナはロシアの影響力を排除して、NATOに加盟、将来はEUの一員となるべきだ、と考えている人が多いです。すなわち、国内に国境線がある様なものです。それは初めてウクライナに行った時にすぐに感じたことでした。当時は平和でしたし「ああ、東西の融和はここから始まるんだ!」とナイーブにも喜んでいたのを覚えています。ところが、実際に起こった事はその真逆でした。世界の分断はここから始まる・・・。最悪のシナリオが冷戦(熱戦?)時代への逆戻りです。

何故ウクライナ人がロシアに対して大きな不信を持っているのかは、きっと色々あるのだと思いますが、有名なのは1930年代に当時のソ連で起こった人工的な大飢餓によるジェノサイド、ホロドモールです。ウクライナの国旗の下半分の黄色は小麦、上半分の水色は青空を象徴しますが、大穀倉地帯のウクライナはソ連の食糧庫でした。外貨獲得手段として、スターリンによる小麦の徴発が行われ、それに応えられなかった農村については全住民が強制的に移住、労働に駆り出されるなど、大変な目に遭います。そして、1932年に大不作に陥った際にも、食料の全てを奪う程の徴発が行われ、400万人から1450万人ものウクライナ人が餓死したと伝えられています。これもまた、強者による弱者の支配、搾取の歴史です。そんなことを知れば、ウクライナ人がロシア人を決して信用できないのも当然でしょう。世界には知らないことの方が全然多いです。学ぶことの大切さをあらためて痛感します。自分に都合の良いことだけを信じ、支持するのではなくて、立場を変えて物事を見る、考えることが出来る様になること、真に公正な世界を追求すること、それが持続可能な人類社会のために一番大切なことだと思います。

とにかく、今の自分の心境としては、私の友人たちが決して大変な目に遭わないこと、平和で幸せな生活を取り戻してくれることを心から願っています。



2022年2月10日木曜日

ジュリア・ギラード氏旭日大綬章

 いやあ、今年に入ってまだ更新が4回目です。すいません、怠けているわけではないのですけど、いわゆる大学の繁忙期でして・・・。こちとら一生懸命に仕事をしているのですけど、メッタ打ちにされる様な状況で、身も心もボロボロです・・・。カーボンニュートラルに向けた活動、今こそと思い、始めたものの、知れば知るほど、考えれば考えるほど、それが遠のいていく様に思えます。世の中の出来事、人の行動パターンの変わらなさを思うと、どの様にしてカーボンニュートラルなどという大事業を成し遂げ得るのか、それにどう貢献し得るのか、全く見えず、暗闇に放り出された心境です。

みんな気づいていないのか?あるいは気づいてはいても、明日を思うと自らを変え、世界中にはびこる不条理と戦うことなどやめて、境遇に身を任せてしまうからなのか、とにかく世界は、というより人は変わろうとしない、と感じます。それに苛立ちを感じて、抵抗すること自体に自分自身も疲れてしまっているのを感じます。気が付けば「そんなことは無駄だからおよしなさい」と言ってしまう側になってしまうのではないか、と恐れさえ感じます。この苦しみは、まだ自分が戦おうとしていることの証なのでしょう。

そんなことはほぼ毎日考えますが、自分の力不足を情けなく、恥ずかしく思い、久々に書こうと思ったのは、2010-2013年にオーストラリアの首相を務めたジュリア・ギラード氏(オーストラリア史上唯一の女性首相)のインタビューを見たからです。

旭日大綬章受章の豪ギラード元首相単独インタビュー(TBS系(JNN)) - Yahoo!ニュース

2011年の東日本大震災の時に、海外の首相として初めて津波による被災地を訪れ、それ以降も日豪の友好に貢献したことが受章の理由だそうです。しかし、そのインタビューでは受章のこと以上に、初の女性首相として感じた難しさ、相変わらない男女の格差、豪ではむしろ男女平等が後退していることなどを語っています。

ギラードさんが首相になった時のことは良く覚えています。何しろ私が大好きなジュディ・フォスターにも似た美人ですから、「へえ、凄いなあ、こんな人が首相になるんだ」と思ったのを覚えています。しかし、すぐそうやって、女性の容姿のことを話題にする愚かな男の私もまた、女性が等しく活躍できる社会を阻む一人なのかも知れません。もちろん、政治のリーダーにとって容姿から来るイメージというのは大切だとは思います。例えばケネディ大統領やハリウッドスターだったレーガン大統領の残したカリスマ性に、その端正なルックスが無関係だったとは思えません(ニクソン大統領が対極?)。最近だと、フランスのマクロン大統領でしょうか(美男子)。なので、美しくて何が悪い、であり、国民のリーダーは外形から来るものだけでなくて、内側からほとばしる美しさがあってしかるべきでしょう。

でも、ギラードさんはおっしゃるわけです。首相になった時、マスコミや社会は着ている服のことや、子供はいるのか?子供は誰が世話しているのか?ママ業と首相は両立できるのか?とか、そんなことばかりを話題にして、肝心の国の政策、リーダーとしての理念などを十分には聞いてもらえなかった、というわけです。女性の社会進出を阻む2つの壁として、構造的な壁と心理的な壁があると言っています。構造的には、やはり次の命を育てる大きな役割を担う女性に不都合を生じる社会の仕組み、まあこれは気づけさえすれば、改善は可能でしょう。しかし、それを見過ごしたり、気付けなかったりする背景には、社会のリーダーは当然男性である、という強いバイアスがあることも明らかです。

それで、ギラードさんは、ジェンダー平等に関する研究科を大学に立ち上げたり、NPO活動を支援したりの活動をされている様です。折しも、オーストラリア議会内で起こった議会職員女性に対する性暴力行為が承認され、捜査中であることも報じられました。

オーストラリア議会が女性に対する性暴力と虐待の訴えを承認 - 2022年2月8日, Sputnik 日本 (sputniknews.com)

日本よりは、よほど男女平等、女性の社会進出が進んでいると思われる西洋社会であっても、実態はまだそんなもの、ということなんでしょうか。

つくづくたちが悪いのは、差別まみれの人種に全くその差別意識が無く、むしろ善意で行っているとさえ思っているところです。性差別に限りません、人種、文化、教育、年齢などなど、差別の理由はいくらでもあります。結局社会的強者がその既得権益を守り、正義と悪を勝手に定義し、善人ヅラして悪事を働く、本人にはその差別意識がゼロ、という困った状況です。そして強者による弱者の支配に常に利用されるのが、金の力です。今日のニュースの一つが、流通超大手、アマゾンが基本給上限を2倍以上引き上げ、年4000万円としたということです。

アマゾン 基本給の上限を2倍以上 年間約4000万円に引き上げへ | IT・ネット | NHKニュース

理由は、優秀な人材を確保するため、ということで、まあ当然と言えば当然でしょう。日本も春闘の時期ですが、過去30年実質的に成長していない日本では絶対無理な話。そうしているうちに、日本からは優秀な人材というのがどんどん失われていく?アマゾンみたいなことが出来なかったとしても、例えばはした金であったとしても、やはりそれをチラつかせて「俺の言うこと聞けよ」と来られたら、ひとまず言うこと聞いておいた方が良い、となるでしょう。だから、弱い者には罪はない。

では金以外に努力や能力を引き出す方法は無いのでしょうか?もしその程度であれば、結局世界は変わらないでしょう。カーボンニュートラルも無理です。強者にとって都合の悪い人は必ず排除の対象にされます。ギラードさんの話を通じて思った、相変わらず多様性を認めない社会は、こうした強者の論理による支配と無関係ではありません。その瞳が輝きを放つ、美しく(すいません、また言いました)聡明なギラードさんの様な人に心から敬意を表します。同時に、何も出来ない自分自身の情けなさを痛感しております。


125

 「125」この数字が意味するのは何でしょう?はい、私はオートバイが大好きで、特に手に余らず、使い切れるパワーで軽量な125ccクラスのバイクが好きです。高速道路は乗れないけど、バイクで高速道路走っても、ちっとも面白くないし、二人乗りだって出来るし、燃費良くて維持費安いし。今ウチ...