このブログについて

国立大学法人山形大学工学部教授の吉田司のブログです。2050年までのカーボンニュートラル社会実現に向けて、色々な情報や個人的思いを発信します。発言に責任を持つためにも、立場と名前は公開しますが、山形大学の意見を代弁するものではありません。一市民、一日本国民、一地球人として自由な発言をするためにも、所在は完全に学外です。山形大学はこのブログの内容について一切その責任を負いません。

2025年10月6日月曜日

大学の国際化④Z世代の海外旅行離れ?

 電通が出している「電通報」にこんな記事がありました。

Z世代の「海外旅行離れ」は国際意識の低下を招くのか? | ウェブ電通報

曰く、海外旅行経験の有無と国際意識の低下は相関しない、というのです。まず、Z世代とは15-29歳の人だそうです。今の大学生はそのど真ん中ですね。うちの子はこれより下の世代なので、α世代でしょうか。

データを見ると、まず「今後一生、一度も海外旅行に行けなくても別に構わない」という問いに対して、全体で60%もの人が「そうだ」と答えていることが驚きです。老人がそう答えるのは、「もう何度も行ったしね」というのもあるかと思うので理解出来ますが、まだ人生をちょびっとしか生きていないZ世代でさえ、やはり6割近くです。一方でそう答えるZ世代の6割以上が「グローバルに活躍できる能力は必要」と考え、「国際感覚は日本に居ても身に付けられる」と思っているので、国際意識は高いのだ、と筆者は主張しています。また、ネットワーク上でのコミュニケーションが中心となっているZ世代にとっては、実際に海外に行くのは時間もお金もかかることであって、コスパ、タイパが悪いのだと考えているとしてそれを説明しています。わざわざ海外に行く必要が無いと考えているだけであって、決して国際化に対して後ろ向きなわけではない、と。

皆さんどう思います?私は全然ズレていると思います。まず、「海外旅行」と「国際化」をリンクすることに無理がある。「旅行」は娯楽の意味が強いと思います。私は必要があって海外に行くのであって観光はオマケ(オマケでも色々知ることは大切ですけど)。観光旅行客と同じように飛行機には乗るかも知れないけど、見物が主要目的ではありません。学生にとっては、国際学会に参加したり、他大学に留学したりすることが大切なんであって、それは自身の国際化に大きくプラスになりますし、一度行くと国際的になるんではなくて、その必要性をうんと感じて帰ってくる、その後の研鑽を通じて国際化が果たされていく(また海外に行き、経験を積み、少しずつインプルーブされ、国際人になっていく)、そういうことですよね。まあ、旅行であっても、全く海外に行ったことが無いよりは行くだけで色々感じることはあるでしょう(多感な人なら)。特に若いうちは居心地の悪い思いをすることが大切で、「これは何だ!?」という経験が自身を開眼させることにつながります。ただ、この記事ではずっと「旅行」という言葉を使っているので、それを強引に国際センスみたいなことに結び付けようとしているように感じられ、大いに疑問です。

例えば、添乗員さんと一緒に観光地を観光バスで巡るようなパッケージツアーだと、それは「日本カプセル」に入ったまま、窓の外の景色を眺めているのと同じです(以前TGVの中でおにぎりを食べている日本のツアー客集団を見掛けた)。それでも、先日のヴェルサイユ宮殿とか、万里の長城とか、エジプトのピラミッドとか(見たことありません)、そういうものを見物したら、それなりに「へえー、スゴイね」「これは一体どういう人が作ったの?」と少しは他国の歴史や文化に興味を持つでしょう。それも国際化と言ったらそうなのかも知れません、何も無いよりはマシ?でも、日本カプセルに入ったままで「グローバルに活躍できる能力」ってのは絶対得られないと思います。上記のとおり、この居心地の良い日本を出ないと。敢えて居心地の悪い世界(言語違う、食べ物違う、色んな風習が違う)に飛び込まないと、自分をアダプトすることの難しさを認識することも出来ないですよ。それこそ、日本に来た外国人の人がどう生きているのか、何に苦労しているのかを想像することも出来ない。

スマホの画面越しでどれだけ英語を話したり聞いたりしたところで、やはり分からない。究極の日本カプセルどころか、自分の部屋で自分が知りたいことだけを検索し、顔の見えない相手に対してコメントを発しているのは「自分カプセル」に引きこもっている状態です。国際化するというのはその真逆ですね。自分に不都合なことが起こりまくる。経験も無いくせにタイパとか考えているとしたら、それも全くオカシイです。居心地の悪い、自分の知らなかった世界に飛び込むと、例えばお腹が空いたので街のパン屋さんに行ってパンを買う、という行為だけでもハラハラドキドキの挑戦になるんです。つまり、敢えてコスパ、タイパの悪いことをしていることが国際的経験である、と言っても過言ではありません。逆に言えば、そういうリアル体験無くして国際化とは何か?を理解し、学ぶべきを学ぶことは絶対出来ないんですわ。

なので、この統計のデータはショックです。日本人の6割もの人が「関心無ーい」と答えているようなものですからね。特に学生諸君(すなわちZ世代!)はこんなの無視してください。行かないと(旅行じゃないよ)何も起こりません。居心地が良すぎる日本カプセル…。

EVシフトを考える㉑(中国の今)

 久々のこのシリーズです。見返してみると、EVについて盛んに書いていたのは2021年頃、4年前です。それで、当時としてはその主張は大体正しいと今読んでも思います。予想していたことも、大体その通りになっている。ただ、色々特殊事情はあるにせよ、自分の予想を超えてEVシフトが現実になっている、中国の今に衝撃を受けました。色々な意味で恐ろしさを感じるほど、状況は変化していました。

今夏の渡中の前はコロナ感染拡大の直前、2019年の末でしたので、5年半前でした。中国の色々な都市に行きましたが、その頃は深圳ではバスやタクシーが全部EVでその進化ぶりは明らかだったものの、他の都市では北京でさえEVは滅多に見ない感じでした。ところが…今や北京や瀋陽でも、走っているクルマの2割以上がBEV(内燃エンジンを持たないバッテリー駆動のEV)、新しいクルマに限って言えば80%はBEVではないかと思います。BEVはナンバーが緑色なので、すぐ分かるのです。さらには、そのBEVの殆どが中国車!最大手のBYDはもちろんですが、あまりにも色々な種類、見たこと無いバッジの付いたクルマがいました。宇宙船みたいにツルンとした外観のBEVミニバンとか、路上を行き交うクルマが日本のそれとは全く違うのです。日本や欧米の安全基準は恐らく満たしようがない小さくて軽そうなものから、大型の豪華なものまで、本当に色んな種類のBEVを見かけました。当然ながら、日本製は殆どナシ。欧州製もほぼナシ。電池が中国製なので当たり前ですが、中国製品の圧勝です。

しかし…充電施設はあまり見かけなかったので、「一体どこで充電してるの?」という疑問が。電池切れで路上で立ち往生しているクルマなどは見なかったので、足りてはいるのでしょう。大気汚染対策、混雑緩和の対策として、北京の様な大都市ではクルマのナンバーの末尾の番号で曜日ごとに市街地への乗り入れが制限されています。しかしBEVではそういう制限も無いそうです。走行距離や充電スケジュールも見込みが立つコミューター利用ならBEVで何の不都合も無い、というかメリットが大きいですね。相変わらず石炭依存が高いとは言え、電気代をガソリン代に対して大きく優遇する政策もあり、BEVが加速したということですね。先日登場の張先生、ご自身はガソリンのSUVに乗ってますが、奥様はBYDのEVに乗ってらっしゃいます。なんでも、クルマを買うと充電設備を自宅近くにBYDが作ってくれるそうで。支払うのは電気料金だけだそうです。当然と言えば当然ですが、ガソリンスタンドの様に集約する意味は無くて、充電設備というのは分散していた方が良いとは思います。いずれ駐車スペースには充電器があるのが当たり前というように。ただ、施設の老朽化などに対して、メンテや更新は大変でしょうね。

ということで、中国のEVシフトは比率ではなくて絶対数の点で既に本物であることが分かりました。中国は電池生産で圧倒的にリードしていますから、日本や欧米は中国に基準を合わせざるを得ないでしょう。日本メーカーは現時点で中国で売るクルマを持っていない状態なので、EV開発を急ぐのも納得です。しかし、それら日本製BEVもバッテリーは中国から買うことになります。日本製品の優位性はあるのか?性能や安全性では多少優位性があっても、バッテリーが中国製ならば同じですね。いや、クルマはバッテリーだけで出来ているわけではなくて、長年クルマを作り続けている欧州や日本のメーカーには車体のコントロールなどに優位性がある?自動車は事故を起こせば命に関わるわけで、個人的には「中国の自動車は信用出来ない、絶対乗らないナ」と思っていました。しかし今回、その気持ちさえ揺らいでしまう経験をしました。親戚(義理の弟)が紅旗(ホンチー)のSUV(ミドルサイズ)に乗っていて、今回それに同乗して移動することが何度もありました。あの一番エライ人がパレードする時に乗っているクルマもホンチーで、要するに中国の高級車ブランドです。

HONGQI AUTO OFFICIAL WEBSITE

それはBEVではなくて、どうやらガソリン2Lの4気筒ターボエンジンなのですが、静粛性は同クラスの日本車を凌駕していました。室内の意匠については好き嫌いありますが、これでもかというぐらい大画面の液晶パネルに取り囲まれてます(私はそういうの好きではない)。広々では無いものの、たっぷりしたサイズの革張りシートに座り、振動やザラつき、いわゆるNVHの遮断も大変優れていて、少なくとも乗せられている限りは文句の付けようがありませんでした。ハンドルを握ってみるまで、自動車としての最終的な評価は出来ないものの、パッセンジャーとして受けた印象からするとケチを付けられないんです。日本や欧州の製品を凄く良く研究しているんだと思います。越えていないとしても、すぐ後ろにはいる。BEVなんて電気製品と同じ、だから中国にも作れる?いや、車体はお粗末?どうもそんなことも急速に過去となりつつありますね。これは大変ですよ!日本メーカーさん!

それが価値なのか?については疑問ではあるものの、ある意味既に中国のクルマは世界の頂点に上りつつあります。BYDのBEVスーパースポーツ、仰望(ヤンワン)U9 Xtremeが先日市販車世界最速記録(496.22 km/h)を塗り替えました!

496.22km/hって速すぎて想像がつかん!! BYDの「仰望U9」がたった1カ月で最速記録更新!!!  - 自動車情報誌「ベストカー」

それまでの世界最速が2019年のブガッティシロンという3億円の超々高級スーパースポーツの490キロでした(ガソリンエンジン)。U9 Xtremeは3000馬力の電気モーターを搭載しているそうで…。軽自動車50台分以上の馬鹿力。普通のU9は3000万円ぐらいで買えるそうで、日欧の製品に比べてお買い得!?いや、もちろんそもそもこんな自動車誰がどこで使うのでしょう?テクノロジーの使い道として正しいとは思えないものの、日本や欧米に対する挑戦状としては大きな意味を持ちますね。あらゆる意味で、中国は西側社会の後塵を拝しているわけではないと…それは宇宙開発や軍事も同じこと。

仰望U9とは別の尺度で世界を驚かせたのは、携帯電話大手Xiaomiが放ったSU7という4ドアのBEVスポーツカー(?)

SU7

これは、今回中国で何回も見ましたよ。よく売れているようです。

このグリーンのやつがSU7です。もちろん、いろんなカラーがありましたが、珍しい色だったので写真を撮りました。白いのとか、まあカッコよかった。車両の内容は関心も無いのでよく知りませんが、これの高性能バージョンはポルシェタイカンよりも速いみたいです。ルーフが後ろまで伸びているので、後ろのドアは飾りじゃなくて、大人が座れる後部座席がありそう。クルマとしての機能はともかく、携帯電話メーカーのXiaomiですから、車両のコントロールや安全装置、場合によっては自動運転なども含め、ソフトウェアの書き換えによってクルマを最新状態にアップデート出来る、Software Defined Vehicle (SDV)として注目されています。買った後も性能が上がる?魅力的に聞こえますが、本当にそんなことが可能?携帯電話だって、便利なソフトを後で入れるとかは出来ますが、カメラやプロセッサの基本性能が上がるわけではない。このSU7を買った人が、5年後にどうなるかをイメージすると分かりやすいと思います。5年落ちのスマホ、誰も買わないですよね?つまり、Xiaomiは自動車をそういう工業製品と同じにしてしまったということです。5年経ったら価値ゼロ、3年で誰も見向きしなくなる。高価な工業製品である自動車で、それは困ったことです。スマホの様に数年ごとに買い替える?そうなってしまうことが心配です。

皮肉なことに、太陽光発電やEVといったグリーンテクノロジーに中国が注力したのは気候変動に対するリーダーシップを発揮するためではありませんでした。急速に拡大成長する経済に対して、エネルギー資源が不足する中国は、脱化石燃料を進めざるを得なかったのです。もちろん、これらのマーケットはグローバルにも拡大しました。稼げる産業として成功したのは、中国が早すぎず、遅すぎないタイミングでこれらを強力に推し進めたからでした。結果的には、中国をグリーンエネルギーの世界リーダーに押し上げることになりました。今や中国の田舎でさえEVや太陽光発電を多く見かけます。それで、メデタシメデタシ、皆さん中国を見習いましょう!とはいきません。気候変動対策、持続可能社会の構築、というのが主目標ではないまま、圧倒的なスピードで変化が起こっています。すなわち、「儲かるから」をモティベーションに猛烈なスピードで資源の消費が起こり、加速しています。持続可能であるための切り札の様に思われている太陽光発電やEVが、それ自体持続しないものとなってしまうかも知れません。中国で起こっている圧倒的ボリュームとスピードのEVシフトを目の当たりにして、早々にこのゲームが終わってしまうのではないかと心配になりました。


2025年9月26日金曜日

帰国報告(フランス編),大学の国際化③

 お次はフランスへ。先日の電気化学会東北支部セミコンファレンス直後の9月9日から23日の2週間でした。朝早い便だったので、嫁さんのところ、八王子に1泊し、始発電車で羽田へ。機材はちょっと古いボーイング777でしたけど、787はこの前インドで落ちたし…。目的地はパリ、Air bnbで12泊、羽田から直行便ですが、何と北極を越え、グリーンランドの上空を越えて行きました(東向き、通常と反対方向)。

今回の用務先はフランスのNo.1エリート校、Ecole Polytechniqueでした。現在科研費で推進中のホットキャリア太陽電池について、旧知のJean-Francois Guillemoles先生にコンタクトを取ったところ、当時丁度東大に居たDaniel Suchet先生(東大とジョイントの太陽電池の大きなプログラムがあります)とつながり、今年の2月に同先生に来校講演頂き、それがきっかけで招聘された、ということでした。Ecole Polytechniqueは外国人研究者の招聘について独自の予算を持っているんですよ、スゴイ。
これがIPVF (Institut Photovoltaique Ile de France)の建物玄関、DanielさんとナノセンターのAmauryさんが写ってます(C2Nも見学させてもらいました、これまたスゴイ施設)。IPVFの建物全部、太陽電池の研究開発のためだけ。隣にはHORIBAのリサーチセンターがあります。Ecole PolytechniqueにはIPVF含め30くらいの研究所があり、パリの南側のこの地域に集まっています。フランスの「つくば」って感じですね。
着いた翌日に講演。最近は一般向けのカーボンニュートラルに関する講演とかが多かったので、久々にサイエンスだけの講演でした。気合入れて準備したものの、30分に詰め込まなくてはならず、駆け足になっちゃいました(マシンガントークは日本語でも英語でも同じ)。ホットキャリアはまだヨチヨチ歩きなんですが、それでも関心を持って聞いてもらい、沢山質問も頂きました。
研究室施設(広大なクリーンルーム)も見学、何故か家族も一緒(貴重な経験だぞ!父より)。人工光合成の研究を一緒にやろう!ということになったNegar Naghavi先生(彼女も旧知)が案内してくれました。誰だ?退屈そうにしてるお魚みたいな男の子は?
翌週には、PMC (Laboratoire Physique de la Matiere Condensee)という機関でも講演させてもらいました。そちらはゴリゴリの電気化学、薄膜電析と蓄電、エネルギー変換触媒についての話でした。現在フォーマルな共同研究プロジェクトとかが動いているわけではないんですが、フランス側の学生受入れ支援プログラム等もあるみたいで、ウチの学生が留学するための地ならしをしてきたという感じです(行けるぞ!)。
2019年の大火災に遭ったノートルダム大聖堂は修復され、再公開されています
ヴェルサイユ宮殿も久々に行きました。有名な鏡の間の鏡を作ったのがフランスの大手ガラスメーカー、Saint Gobainの発祥だそうです。それにしても、人が多かった!
Musee des Arts et Metiersに展示されていたオリジナルのボルタ電池、1701年!
同博物館の蒸気エンジン自動車、1770年!リジッドアクスルですが3輪なので必ず接地します。250年後、今のEVと比較すると工業技術の発展に感慨を覚えるのでした。Arts et Metiers博物館、理系の方には大変おススメです!
化学賞と物理学賞、2つのノーベル賞を受賞したマリー・キュリー、このバルコニーから学生と話をしていたそうです(キュリー博物館)
マリー・キュリーのオフィス、隣は実験室です
ENSCP (Ecole Nationale Superieure de Chimie de Paris)の正面玄関前に久々に立つ

世界最大の観光都市パリですから、もちろん観光もしました、美味しいものも食べました。子供たちは焼きたてのクロワッサンの美味しさに感激してました。とは言え、円安とインフレが進んだこともあり、全てについて高くなったなあ、という印象でした。例えばサンドイッチが8ユーロ。日本のと違って、美味しいフランスパンにチーズやハムがモリモリ挟まれているので、食事として満足なんですけど、1400円越え…。

で、そもそも何でフランスなのか、どうして沢山仲間がいるのかと言えば、かつてパリに留学していたからです。上述のENSCPに初めて行ったのが1999年、4半世紀前!本当に多くのことを学ばせて頂いた私の大先生、Daniel Lincot先生の研究室が当時ENSCPにありました。今やIPVFの研究ディレクターになった上述のGuillemoles先生に初めて会ったのもその時でした。だから、上の写真のENSCP玄関を何度も出入りしたんですよ。キュリー博物館も実は同じキャンパスの中にあります。なにせ住所がRue Pierre et Marie Curieです。周囲の殆どの道には学者の名前が付けられています。そこに居るだけで「フランスの学問の中心にいるんだ!」と身震いする思いでした。
Lincot先生に初めてお会いしたのは1998年のECS, ISE合同会議(パリ)でした。当時私は岐阜大助手3年目の新米先生。岐阜大に着任してから始めた化合物半導体薄膜電析について分からないことだらけで、教科書の様に必死に読み漁ったのがLincot先生の論文でした。凄く勉強になる、素晴らしい論文が沢山。上記会議でLincot先生が担当するセッションがあり、一体どんな人なのか、会うことを楽しみにしていました。良い人なのか、嫌な人なのか?果たして会ってみると、物凄く良い人!フランス訛りの決して流暢では無い英語ですが、それがまたチャーミング!サイエンス、特に太陽光発電に関する熱意は物凄くて、小さい体から周囲を虜にするエネルギーを発散するような人です。「絶対この人の研究室で勉強したい!」という願いを抱き、上記の1999年の訪問を経て初めて短期留学したのが2000年でした。
研究者としての吉田司は、このフランス留学で形作られたと言っても過言ではありません。以降何度も行き来し、多くの共著論文を出すことが出来ました。Lincot先生がリタイアしたこともあり、フランスとの交流が少し停滞していたところだったんですが、今回ホットキャリア太陽電池をきっかけに再燃したというわけです、ハイ。久しぶりにENSCPの前に立ち、あれから25年もの歳月が経ったんだな、と一人感傷にふけっていたのでした。眼がしらが熱くなる思い。
でそのLincot先生が今どうしているかと言うと、簡単にリタイアしたりしていませんよ!色々紆余曲折を経て、今はSOYPVというベンチャー会社でフレキシブルCIGS太陽電池の事業化を目指して今なお活躍中です。SOYPVはOrsay駅近くのSaclay大学のキャンパス内にあり、Cu, In, Ga合金電析をベースにしたデカイ製膜装置を見せてもらいました(写真撮影厳禁!)。
SOYPV建物の前で、Lincot先生と

順調なのかと言えば、資金繰りとか色々大変みたいです。私がとやかく言う立場ではありませんが、Lincot先生は私にとってはサイエンスの父(歳はそこまで離れてないけど)。今もなお熱く自分の夢を追いかける姿に共感しつつも、「パパ、もう充分バトンを渡したと思うよ。もうゆっくりしても良いんじゃない?」と言いたい様にも感じました。でも、相変わらずエネルギッシュ!
今回色々な人に再会し、新しい人にもお会いしました。思い出話みたいになっちゃいましたけど、これが何故大学の国際化に関わるかと言えば、やはりその価値を再確認する思いだったからです。共同研究をする理由は、例えば自分のラボでは出来ない実験が出来るから?それだけなら、何も国外に行く必要は無いですよね。どんな設備だって、どんな分野のエキスパートだって、日本国内に必ずいます。旅費も時間もかからないし、その方が効率的?言語の壁だって無いし。もちろん、そういうことではないですよ。効率の追求でもなければ、国際的なステータス向上のためでもない。国際交流にはそれ自体に意味があって、人類の共存と繁栄、恒久的な平和の追求、人類共通の文化的発展への大切な営みだとつくづく思います。
研究について、色々と議論もしましたが、Daniel SuchetさんやAmauryさんとは地球規模気候変動のこと、世界の分断と対立、トランプのアメリカ第一主義に対するEUや日本の対応、ロシア・ウクライナ戦争、日中関係の問題、など様々な話をしました。そうした課題を相互に認識すると共に、物質的経済的損得などを乗り越えて人類共通の課題に向き合おうとすること、そこに我々がサイエンス・テクノロジーを共同する意義がある、とつくづく思いました。何度も東大に行っている彼らからは「日本の学生は質問しない!」とか「フランスの学生は日本にすごく行きたがるのに、日本の学生はフランスに来てくれない!」という苦言も聞かれました…。
「国際交流にはそれ自体に意味がある」学生の皆さんには是非それを信じて、日本を飛び出してみて欲しいと心から願います。私自身がそうして育てられたように、必ずや得るものがあります。自分の中に激震が走る様な、世界の見え方が一変する様な、そういう経験をすること。一度きりの人生ですもの、めいっぱい生きようよ!




2025年9月24日水曜日

帰国報告(中国編),大学の国際化②

 またまた間が開いてしまいました。この間日米プログラムの学生受入れとか色々ありまして…。色んなことを考えさせられ、発信もしたかったのですけど、日々のことに追われておりました。

上記の学生受入れがひと段落するや否や、昨年のアメリカに続き、今夏は2つの全く違う文化圏に家族総出で渡航しました。一つはコロナ以前から5年ぶりの里帰り、中国への旅行(これは完全にプライベートですが、結局仕事の仲間にも会っている)。もう一つはフランス、パリです(これはEcole Polytechniqueへの招聘、私は仕事、家族はホリデーです)。沢山お金もかかりました(もらっている旅費ではとても足らない)。「色々旅行出来て良いでしょ?」という自慢話ではなくて、とても大切な「仕入れ」の旅行でもあります。色々と新しい学びもあり、世界の変化を感じ、これからについて考えさせられます。大学の教員ってのは「文化の先導者」であるべきだっていつも思っているのです。現実に即したことだけをやっていれば良いのではなくて(誰も問題視しないでしょうけど)、まだ起こっていないことに対して備え、現実を理想に近づけるための導きとならなくてはいけない。なので、時折国外を訪ね、今を知り、アップデートすることは大切な仕込みなのです。導きなどと言うと、何だか押し付けがましく聞こえるかも知れません。「○○でなくてはならない!」と自分の価値観を押し付けようと思っているのではありません。次の世代の人にはその人たちの考えや理想がある、それを信じ、支援すれば良い。それも一理あるでしょう。ただ、知らない人、経験も無い人に「どっちにするか決めて良いよ」と言っても、判断する根拠も持ち合わせていないでしょうから、困らせるだけです。なので、まずは知ることは大切。先生は学生にその機会を作り、何なのかを伝え、相手に考えさせて、道を見出す助けとなる。どこまでが助けであり、どこからが押し付けなのか、さじ加減は難しいところです。ともあれ、いくつかやったこと、思ったこと、について書きとめます。本当は、写真がいっぱいあるのですけど、このご時世人が写っている写真を沢山出すのは憚られるので、風景とかの写真中心でお送りします。

最初は中国、9日間。遼寧省瀋陽に義兄を、吉林省の田舎町に義母やその他親類を訪ねました。過去の訪中時には子供たちは小さかったので、今回初めて自分たちのルーツを本当に理解したと思います。言葉は通じないのに、家族として100%受け入れ、とても優しくしてくれる人たちの笑顔の本当の意味を理解したと思います。「中国は好き?嫌い?」「中国人は好き?嫌い?」というのは愚かな質問で、自分の大切な故郷であり家族です。そもそも人の絆に国境など関係しません。それは今のロシアとウクライナの関係にも当てはまるハズなんですけどね。中国の家族に即座に親しみ、甘えさえする子供たちの親としては、将来への期待がうんと高まったのでした。世界の平和と人類の共存を導く新人類?まあ、そんなプライベートな話はこれぐらいで。

旅の最後には北京にも少し滞在しました。天安門広場、万里の長城にも行き(暑かった!)。



天安門広場では9月3日の抗日戦争勝利を記念する軍事パレードの準備(観客席の設置やパレードの立ち位置を示す道路上のマーキングなど)も進められていました。今回久々に中国を訪れて一番驚いたのは、EV(特にバッテリー駆動でガソリンエンジンを持たないBEV)の普及の早さです。5年前、深圳とかはEV化が進んでいたものの、地方都市はもちろん、北京でさえEVは珍しかったです。ところが今は掛け値なしに路上の20-30%がBEV、新車に限れば恐らく80%以上がBEVです。それらの殆どが中国の国産(BYDだけじゃない!)。バッテリーが中国製なんだから当然と言えば当然。日本メーカーが焦るのも良く分かりました。だって、売るモノが無いんだから。まあ、EVのハナシは「EVシフトを考える」のシリーズで改めて書きます。まだまだ色々お伝えしたいことがある。

そして、北京でずっとお世話になったのが岐阜大時代のポスドク、今や天津師範大学の副学部長の張敬波先生です。山形大でポスドクだった殷さんも最近北京化工大学の先生になりました。

人写っちゃってますけど、まあほぼ全員公人なので…誰が誰とかは書きません。こうしてみると、自分の元で一緒に研究をした多くの仲間が学校の先生になったのですねえ。嬉しいことです。「中国は最近どうなの?」「日中の共同研究とかやりにくくなって残念」「ペロブスカイトは論文のため?実用化本気でやってると思う?」とか色々なハナシがありました。こういう研究仲間の存在も、自分にとって中国を特別な場所にしていると感じさせます。色々問題があるのが残念でならない…。自分にはどうしようもないし、何かしようとも思いません。しかし、地理的にも文化的、歴史的にも関係の深い中国は、国際化を語る上では最重要でしょう。アメリカ帝国の手先になっている今の日本の歪んだ状態そのままでアジアの恒久的な平和と共存、発展は見込めないと思います。

長くなったので中国編はここまで、次はフランス編です。

2025年5月28日水曜日

女子枠

 報道のとおり、山形大学工学部システム創成工学科にR8年度入試から女子枠が設けられるそうです。

山形大学工学部「女子枠」 副学部長“組織が変わる起爆剤に”|NHK 山形県のニュース

遅すぎる、小さすぎる。「定員50名のうちの3名は意外に大きい」というのが単なる言い訳にしか聞こえません。実際のバランスの悪さはそんなものではない。新鮮味も無く、規模も小さすぎで、見向きもされないでしょうね。何故システム創成学科だけなんでしょうか。工学部全体でやるべきだと思います。特に女子比率が少ない学科は定員の20%ぐらい女子枠にしても良い。これではインパクトも波及効果も全く無い。何のメッセージにもならない。

先日書いたとおりで、理系の男女バランスの悪さの是正というのは人材活用の点で大変重要です。今の様な状況になることは20年以上前から分かっていたことです。変われない、変わりたくない組織のマズさですよね。周りをキョロキョロして「じゃ私らも…」では遅すぎるんですよ。他大学がまだやっていないぐらいのインパクトのあることを計画して実行しないと。社会の要請に応えて取組むのでは遅すぎて、未来を予想しながら先駆けて、より良い未来にチャレンジする人材を育成するのが学校でしょう。変化は後に来るものだから。

大きな失敗にはならないけど、絶対に成功もしないことに過ぎず、やったふりをするだけなら意味がない。失敗するかも知れないけど、大成功、大化けするかも知れないことにチャレンジしないと変化なんて起こりません。

2025年5月15日木曜日

大学の国際化①

 自分自身がその関係者、当事者としてとても大きな課題なので、きっと1回では書き切れないし色々な新しい思いも発生するので、このテーマはシリーズ化しようと思います。

他国の状況は分かりもしないので、とやかく言えませんが、日本については大学の国際化(あらゆる意味で)は極めて重要、必須の課題だと常々思っています。理系では相変わらず酷い性差別も問題。そのために、自分に出来ることに少なからぬ努力をしてきたつもりですが、期待しただけの変化は起こっていないというか、環境の変化に追付けていないというか、何とも悔しい思いです。個別の誰かが大きな間違いを犯しているとか、障害になっているとかいうことではなくて、日本社会の問題、仕組みの問題によるところが大きいと思うので、内部告発にはならないですけれど、大学の事情を知る当事者であるが故に自虐的というか、大学に対する不満が炸裂することになるのは恐らく避けられませんので(それを暴露しないと問題の本質から逃げることになる)、相当スリリングな展開になることを予め申し上げます。色んな場面で私なんぞよりもずっと上の立場の方からも問題が指摘されたり苦言が呈されることもあると思いますが、そこはエライ人の立場だと言葉を選んで相当マイルドな表現になっていることはお分かりかと思います。何しろ空気を読んじゃう日本人ですし、公な立場では言えることにも限りがあります。行間を読める人には具体的な問題も見えてくるのだと思いますが、私はそこまで行儀よくありません。

気候変動の話でもそうですけど、「いまだに○○だからこんな事になるんだよ!」とか「○○が変えられないようだったら人の世界は終わるよね」とかいうことは嫌というほど分かっていて、それを言っちゃえばどれ程気持ちいいかと思いつつも、そんな乱暴な発言は出来ないし、立場上「持続可能な発展のために○○を心がけましょう!」みたいな希望を与える発言をせざるを得ず、「無理に決まってるよ・・・」という本音を言うことは出来ない、というのが業界のエキスパート、ご意見番の立場だったりします。それで、真の問題が不可視化されるので質が悪い。「行間読んでね」のマイルド発言でも行間を読み取れる賢い人には良い。でも多くの場合「○○先生もそうおっしゃってます!シャンシャン!」みたいなことになって、何も変わらない、変えようなんて思わない・・・というのが続いてしまいます。薄々感じていても、現実がしんど過ぎるから喜んで騙される、というのもあります。ここでは本当のハナシを思い切り暴露したい!だけど狂犬の様に嚙みつきまくると思われがちな吉田も分別あるオトナです(本当!?)。カーボンニュートラルについて小中高校で話をする時も、一般向け、事業者向けに話をする時も、あれでもかなり控えめです。きっとトーンダウンさせるので、そこは是非行間を読んで下さい!

さて、自分が如何に先見性があったかを自慢してもまるで意味が無いんですけど、今の様な状況になるであろうことは少なくとも20年前には分かっていました。バブル崩壊以降停滞する日本経済。そこから脱出するには、それまでの成功の図式から抜け出して新しい日本の社会を作る勇気と行動が必要だったんですが、空気の支配、同調圧力が強い日本社会、Seniority、性差別、選民意識が強くて、そもそも変化を拒む日本人、当事者意識が薄く年輩に甘えてしまう日本人は大きな変化など生出すことも出来ず(掛け声をかける人はあったけど)、迷い、彷徨い、どんどん衰退しています。顕著に影響が現れたのが先日も話題にしている急速な人口減少、少子高齢化。特に地方は大変。ここまで深刻になれば誰でも不安を感じるわけですけど、バブル崩壊から10年ぐらいの変化の無さを見て、さらには大学の職員となってその古臭さ、変われなさを目の当たりにして、このまま行けば日本が二流三流国家に転落すると当時から思っていました。それで当時の学長に「工学部では合格点に差を付ける女子枠入試をやってでもリケジョを増やすべき」とか「留学生向けの学科を作ってでも人材確保に努めるべき」とかメールを送り付けたところ、「ユニークなアイデアをありがとうございます」というオトナの、ジェントルマンの返信を頂いてズッコケていた吉田助手でした。

何でって、そんなの当たり前です。外貨獲得の先鋒であるものづくり産業、その人材を支える工学部は完全に男が支配する世界です。去年ついに初の女性工学部長が信州大学に誕生したのですけど(素晴らしい!!!)、理系って全くもって男社会ですよ。

地域・女性へオープンに 信州大の次期工学部長、香山瑞恵さん [長野県]:朝日新聞

工学部の先生になった30年前なんてもっとそうでした。「女の子が理系に行っても・・・」と親が止めてしまうぐらいです。で、理系のことは女性には合わないのか?と言えばもちろんそんなことはありません。全く同等、男子より向いてるかも。しかし工学部の女子比率は未だに20%にも満たないです。学生から見たって、リーダーシップをとって活躍するリケジョの先輩、例えばトヨタ自動車の社長が女性になるとかいうロールモデルが全くいないわけですから、それも無理はない。若者が悪いんじゃない。社会が悪いだけ。間違いなく深刻化する労働力不足に対して、人口の半分を占める女性が実質的に対象外扱いされているという状況は、何とも勿体ない。長年に渡る性差別の結果なのですから、これを是正しようとすれば逆差別しかない。と、ずっと前から思っていたわけです。そして、2023年になってやっと、本当にやっと、女子枠入試が始まりました。

大学、工学部「女子枠」急増の背景と狙い…女子のみ筆記試験撤廃の大学も | ビジネスジャーナル

学生もそうですが、工学部の先生にも女子枠。

「女性枠」が生む「リケジョ」の可能性とは? 女子学生が語る入学の決め手とは? - ジェンダーをこえて考えよう - NHK みんなでプラス

何でこんなにも時間がかかってしまったのかと思います。前にも書きましたけど、ウチの大学には「だって女性は論文書けないし、研究費も獲れないでしょ」と本当に言ってしまうエライ方がいらっしゃいました。化石。

で、当然その先には留学生です。18歳人口の減少なんてとっくの昔に始まっていますけど、大学の数や定員はほとんど変わっていません。結果的に起こったのは、何と大学進学率62%。あまりにも学生のレベルが低下して、大学で割り算教えたり、"I am"が現在形で"I was"が過去形ですよ、とかいう信じがたい教育をしている学校もあるそうで…。

大学で義務教育レベルの講義 助成金配分で財務省と文科省対立 | NHK | 教育

今後一層人口減少が進む中で進学率が100%めがけてさらに上昇するかと言えば、そんなことは起こらないと思います。そもそも、「大学なんて用が無い」という人はいます。国立大学さえ定員割れすることになるでしょう。いよいよ学校が消滅する時が近づいています。どれだけAIが発達しても、ロボットが高度化しても、日本経済の活力を保とうとすればその担い手は必要になります。大学は高度人材を供給する役割を果たしてきたわけですが、育て、送り出す人材がいなくなれば、日本の産業はそのまま縮小するのか?そんなことは無いでしょう。人材を輸入するだけです。しかし、そのコストは決して低くはないし、日本の社会で育った人材よりも日本独特の仕組みには入ってもらいにくい、ということはあるでしょう。であるならば、我々が先んじて人材を輸入し、育て、社会に送り出す役割を果たさなくてはならない。それが出来ないのであれば、学校としての役割が終わり、消滅することになる。企業が直輸入するのに任せるのではなく、我々が先んじるのです。

で、賢い人は当然そんなこと考えてますよね。やっぱり頭の良さが違うなあ、東大。

東大 70年ぶりの新学部 再来年秋に設置へ 5年間の一貫教育課程 | NHK | 教育

学部長は外国人、学生の半数以上留学生、何より凄いのが9月入学(国際標準に合わせる)。こうした取り組みをきっかけにして、今後どんどん留学生を増やしていこう、というビジョンが見えます。地方にこそ外国人の力が必要なのに、いつも先を越される…。目の前の都合のハナシしか出来ない田舎大学のリーダー、困りますね。東大や京大の先を越さなくちゃ。

長くなったので、次回に続きます・・・


2025年5月7日水曜日

トランプ

 もちろん、カードゲームではありません。あの人です。

「トランプ大統領再び」は、しばらくお休みしていた間に起こった一番大きな出来事でしょうね。このブログの主題であるカーボンニュートラル、持続可能な世界、という目標に対しては大きく後退し、元々難しかったこれらの目標の達成がもはや不可能になったとさえ思える様な変化が急速に進行していると感じます。もう万策尽き果てたとさえ感じて、希望を語る力もありません。今の幸せが一体いつまで続くのか?人類は簡単に絶滅したりしないと思うけど、人が世界の覇者となった、私たちが記憶する世界はあっさり終わってしまうかも。何も準備していなければ、地獄に真っ逆さま。いつまで逃げられるか、どこに逃げるべきかは分からないけど、疎開する準備をした方が良いか?

人が好きで、人を理解したくて、自分も人らしくありたいと思っています。自分にとって、自然科学と社会科学と人文科学には境目が無くて、色んな知識がパズルのピースの様に入ってきて、それを組み立てて「世界とは何か?」を知ろうとするのだけど、自分の経験も知識も少なすぎて、足らないピースが多すぎて、根拠の無い「希望」に逃げ込むナイーブな私。心の奥底では性善説を信じていて、善の力は必ず勝利すると思っているナイーブな私。自分がダメなヤツでも次の世代はもっと賢いと信じている無責任且つナイーブな私。そんな自分よりもさらに経験・知識が少ない上に不勉強且つ超ナイーブな人たちが世界には大勢いるとも思う。信じたいことだけを信じて、現実から目を逸らすことが「夢見ること」「希望を持つこと」なのか?そうやって「何もしない」ことで世界は一直線に滅びへと向かって行く耐え難い事実。でも結局自分に出来ることなど何も無い様で、60年近く生かさせていただいたオッサンとして、次の世代の伴走者である先生として、そして父親として、自己嫌悪なのです・・・。

「知の巨人」みたいな方々の言説には素直に耳を傾けて、「これは一体何なの!?」「なんでこうなるの!?」「これからどうなっちゃうの!?」という疑問へのこたえを探し求めています。その人たちがどれくらい私よりも経験と知識に富んでいるのかは分からないし、ナイーブに信じちゃうのもイケないのかも知れないけど、やっぱり自分よりもずっと先を見ていると感じる人がいます。国外はさておき、日本人だと佐藤優さん、古賀茂明さん。「うーん」と唸らされます。最近読んだ古賀さんの論説を2つ紹介します。

145%の関税で中国が屈すると考えたのは甘かった…トランプ大統領が知らない「粟と歩兵銃」の精神 古賀茂明 | 概要 | AERA DIGITAL(アエラデジタル)

中身は是非見て下さい。自分が言うのも生意気ですが、「その通り!」と膝を叩きまくりました。トランプさんは、そしてそれを支持するアメリカ国民も、無知です。中国、中国人を全く分かっていない。自分たちの弱さも分かっていない。カネも力かも知れないけど、人の命も力です。日中戦争でも、ベトナム戦争でも、人の命そのものが武器になりました。中国を見くびった日本はとても痛い目に遭いました。ロシアも人の命を大変軽く扱い、それを武器として大量消費することが今のウクライナの戦争でも明らかです。絶対数だけでなくて、どう扱うかも重要なので、インドは中国程の脅威にはならないかも知れないけど、人口の力は物凄いです。だからインドもどんどん怖い国になる。アメリカやヨーロッパは民主主義の正義に負けるので(私はそっちが良い!)、人口が3億あっても消耗品扱いは出来ません。だから先に音をあげるのはアメリカです。でも、人の命を軽く扱うのは嫌、負けて良い。アメリカが貧しかった頃を覚えている人はもういない。豊かな暮らしに慣れ切った人はそれを失うことの痛みに耐えることは出来ない。でも中国のリーダーは貧しかった頃の中国を生きてきた人たちです。「Xiaomi = 小米 = 粟(あわ)」の話がへえー、でした。日本を蔑視する時に「小日本 = Xiao Riben」と言うので、そっか「小米!ちっちぇえアメリカ!」とアメリカを見下してXiaomiか!と一瞬思ったけど、中国語でアメリカは美国(Meiguo)なんですよね!そもそも何で日本語でアメリカは米国なんですかね?中国人はアメリカ大っ嫌いなのに何で美国?教養が無くて知りません。(あ、すいません。中国人がアメリカ大っ嫌いは違うと思います。)

さらに凄かったのがこちらの論説。

米中「関税戦争」最悪のシナリオは“台湾有事” 米国は戦わず日本の自衛隊が“最前線”に立たされるリスクも 古賀茂明 | AERA DIGITAL(アエラデジタル)

トランプさんも、一旦上げてしまった拳を下げることは容易ではない。でも中国はアメリカの脅しに絶対屈しないから、トランプさんが「いやあ、習近平はマブダチだからさ、アイツを困らせたくないんだよね」とか言って全部取り下げればともかく、この関税戦争が本当の戦争に発展する危険性は極めて高いです。衝撃なのは、これってまさにアメリカが望むこと、というハナシ。台湾メーカーも、韓国メーカーも、日本メーカーも、先端半導体は全部アメリカで作らせる。中国に渡さないためには早々に台湾の工場を潰せばいい。中国のミサイルで。アメリカはきっと中国を非難しまくるけど派兵しない。ウソでしょ!?本気で言ってんの?日本も同じ扱い?と耳を疑うものの、確かにスジが通る!最低の人種、人間性のカケラも無い連中が考える様なこと、と思いつつも、それこそが人間性か?と益々人が分からなくなるのでした。アメリカ人も、中国人も、私の友人には全く当てはまらないんですけどね。リーダーが狂人だからこうなるのか?自分自身も含め、全ての人の本性がこうだからなのか?ならば我々は進んで破滅への道を選んでいる様に思える。それとも、個々の人はやはり善人なのに、どうにも出来ない魔の力が人々を破滅へと追い込もうとしているのか?私たちはその魔物に打ち勝つことが出来るだろうか?

大学の国際化④Z世代の海外旅行離れ?

 電通が出している「電通報」にこんな記事がありました。 Z世代の「海外旅行離れ」は国際意識の低下を招くのか? | ウェブ電通報 曰く、海外旅行経験の有無と国際意識の低下は相関しない、というのです。まず、Z世代とは15-29歳の人だそうです。今の大学生はそのど真ん中ですね。うちの子...