このブログについて

国立大学法人山形大学工学部教授の吉田司のブログです。2050年までのカーボンニュートラル社会実現に向けて、色々な情報や個人的思いを発信します。発言に責任を持つためにも、立場と名前は公開しますが、山形大学の意見を代弁するものではありません。一市民、一日本国民、一地球人として自由な発言をするためにも、所在は完全に学外です。山形大学はこのブログの内容について一切その責任を負いません。

2022年3月7日月曜日

ウクライナ3

 キエフが間もなく陥落するかも知れません。戦闘は一向に収まる気配はありません。恐らくプーチン大統領が公言している通り、ロシアは目的を完遂するまでは軍事行動を止めないと思います。一方のウクライナは、決してその将来をロシアに委ねることには合意しないでしょう。武器を供与すれば、より多くのウクライナ人が死に、戦闘は長引き、ゲリラ戦になり、国土は完全に荒廃することになります。なんという悲劇でしょうか。アメリカもEUも、そして日本も、全く仲裁に入ろうとはしません。難民を積極的に受け入れる隣国には敬意を表します。

私の友人、共同研究者たちは、それぞれバラバラにキエフを離れ、避難しているようです。生き延びて欲しい。ロシアに正義はないけれど、だからといって、ウクライナの国家のために死ぬ必要もありません。武器など手にせず、逃げ延びて欲しい。過日、私のそんな思いが、朝日新聞とYTS山形テレビからレポートされました。

ウクライナの研究者から届いた感謝のメール 教授「心で寄り添う」 [ウクライナ情勢]:朝日新聞デジタル (asahi.com)

【山形】ウクライナと共同研究の山大教授 悲痛な思い(YTS山形テレビ) - Yahoo!ニュース

これ、もちろん私がウクライナとの共同研究をしていることを知って、先方から取材に来たわけではありません。私から、取材をお願いしました。何も出来ないことに苛立ち、せめて地域の人たちに、山形大学にもウクライナとの絆があるのだということを知ってもらうだけでも、少しでも困難な状況に追い込まれたウクライナの一般の人々に心を寄せてもらえるのではないかと思ったからです。誰かが言っていました。「この戦争は、決して良い終わり方はしないが、どういう悪い終わり方になるのかはまだ見えない」その通りだと思います。勝者も敗者もありません。残るのは悲しみと憎しみだけ。そしてとても困難な再建への道のりです。だから、決してウクライナの人々のことを忘れては欲しくないんです。そんな思いがこみ上げて来た時、不覚にも泣いてしまいました。それをYTSさんに出されちゃったので、ちょっと恥ずかしい。泣いてるオッサンなんて、可愛くないですからねえ。

初めてウクライナに行った時から、世界の融和はこの地から始まると感じました。東西ヨーロッパの中間に位置し、常に紛争のフロントにあった東ヨーロッパの国々。中でもウクライナは国の中で東西が意識的に分断されています。だから、ウクライナが一つであろうとするのなら、世界も一つになれる、とナイーブに考えていました。しかし、現実はもっと酷かった。

最近、ウクライナにまつわる2つの映画を見ました。一つは、「赤い闇 スターリンの冷たい大地で」というポーランド/ウクライナ/イギリスの合作映画で、監督はポーランド人女性のアグニェシュカ・ホランドさん。題材は前回話題にした人為的な飢餓によるウクライナ人の大量虐殺、ホロドモールです。それを世界に知らしめたのが、ウェールズ人のガレス・ジョーンズという記者志望の若者だったんですね。単身飢餓に喘ぐウクライナに乗り込み、そこで見たことを数々の妨害を乗り越えて世界に報じます。これを見たら、ウクライナ人がどれほどつらい思いをしたのかが良く分かります。監督のインタビューが印象的でした。「ウクライナ人は、負の遺産、悲しい歴史を共有することで民族の統一をはかり、建国された国」1991年の建国から、たった30年あまりで、再び列強にもてあそばれる悲劇に襲われています。もう一つは、テレビシリーズで放映されたChernobyl(チェルノブイリ)という5時間を超えるドラマです。さらに本当の真実が隠されているのかも知れませんが、いままでの認識を全く新たにしました。原子力、核の恐ろしさを思い知ると同時に、国家というシステムの怖さも痛感します。確かに、ソビエトは体面を凄く大切にするシステムでしたけど、それはソビエトに限った話ではないとも思いました。一体我々の知る真実とは何なのか?それは、誰かに都合良く書かれただけの作られた真実なのではないか?我々は、福島の真実をどれ程知っているのだろうか、と思いました。実は前回ウクライナに行った時には、チェルノブイリに行くツアーに申し込む寸前まで行ったのですけど、スケジュールが合わなくて断念しました。今となっては、もう決して行くことは出来ないでしょうね。無理をしてでも行っておくべきだった。以前浪江町のFH2Rに行った時のことを書きました。途中で見た帰宅困難地域の印象は忘れ得ません。やはり、メディアが報じていることだけでは分からないんです。その地に行き、感じるものがあると思いました。両作とも物凄くおススメです。今と言う時だからこそ、ウクライナを是非知って下さい。我々の将来に決して無関係なことではありません。両方とも、アマゾンで買えますよ。別のところでも売っているかと思います。

さて、映画を見て、それを論評など出来る私は、なんと平和ボケしているのでしょうか。今、ウクライナにいる私の友人たちは、明日がどうなるのか分からない苦しみの中にあります。ただただ、この戦争が早く終わって、これ以上亡くなる人が出て欲しくない。アメリカは、決してこの事態を収束させられないし、それをしようともしないでしょう。ウクライナが完全に崩壊しても、ロシアや中国に対する態度を変えないでしょう。日本は、アメリカの主張をリピートしているだけです。アメリカには、全く反省が無いです。今の戦闘を止めるには、ひとまず軍事クーデターが起こって、プーチン大統領が暗殺されるとかすれば良いと思いますけど、それでも問題は解決しません。第2第3のプーチンが現れるだけです。アメリカは、プーチンが悪の権化で、彼一人が悪いかの様な世論を形成しようとしていますけど、そんなことではないです。確かに、プーチンとヒトラーには相通じるところがあるとは思いますけど、それを生み出す社会背景が当時のドイツにも、今のロシアにもあるのです。北朝鮮が庶民から食べ物を奪ってでも核ミサイルを持ちたがるのも当然です。中国が軍事強国になろうと躍起になっているのも当然です。しかし、軍事力による威嚇に対しては、より強大な軍事力を持つことで平和が保たれるというのは全く幻想であって、対立を生み出す構図に踏み込み、共存する道を模索するのが政治の役割です。他国に対しても、自国民に対しても、持続可能な、多様性を認め合う共存への国家戦略を真剣に訴えるリーダーが必要です。

大馬鹿野郎の前首相が「ニュークリアシェアリング」とか言い始めました。決してそんな議論に耳を傾けないでください。核を持つことで、本当に平和になると思いますか?核を持つ国に対しては、核を使用することが選択肢に入るでしょう。しかし、日本はその残虐さを知る国だからこそ、非核三原則を大切に守ってきたのです。核武装をしていない国に対して、どうして核兵器を使えるでしょうか?しかも、アメリカの核兵器を日本の国土に置いたとしても、あるいは第三国にあったとしても、それを使うかどうかを日本の首相が決定出来るというわけではないのです。決めるのはアメリカ大統領です。日本が核武装すれば、隣国は核を用いた反撃を選択肢に入れることになります。だから「核の傘」も要りません。税金で高価な武器を買うことが政治家の務めではありません。もっと大変な仕事をしてください。

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125

 「125」この数字が意味するのは何でしょう?はい、私はオートバイが大好きで、特に手に余らず、使い切れるパワーで軽量な125ccクラスのバイクが好きです。高速道路は乗れないけど、バイクで高速道路走っても、ちっとも面白くないし、二人乗りだって出来るし、燃費良くて維持費安いし。今ウチ...