コロナウイルス感染症の第4波が襲来し、各地で特別警戒が発せられた2021年のゴールデンウイークは、様々なイベント等も中止されて、普段通りの生活を維持することの大切さを改めて実感させています。自然豊かで人も少ない山形は幸いです。ショッピング等もせず、普段行ったことのない場所、観光地でも何でもない、誰もいない田舎に行き、子供たちと野山を散策しています。野生動物に遭ったり、新緑や自然の草花の思わぬ美しさに出会ったりして、多様性に富んだ世界にいることの幸いを噛みしめています。子供たちにも、この野山で遊んだことを記憶したまま大人になって、それを守り、残していく人になって欲しいと思います。
人生は有限であって、有限であるからこそ光り輝くのだと思います。だからと言って、その有限な人生の中で可能な限り色々な経験をし、色々な物を手に入れ消費し、人より多くの楽しいことをすることが、より良い人生を生きるということではないと思います。エネルギー、資源、食糧、社会システムなどの持続可能性が有限な人生を生きる人にとってなぜそれほど大切と思えるのか。自分の人生が終わる時に、丁度資源を使い尽くせば自分自身はその恩恵を最大に受けることが出来て、その後訪れるであろう苦難は経験せずに済む?死んでしまえば痛みも感じない?それはもちろん違います。人間は過去を学び、記憶することも出来れば、未来を予想してそこに思いを馳せることも出来るのです。つまり、過去も未来も今を生きる自分の中に存在しています。だから、当然自分が地球の恵みを使い尽くして、未来の世代からそれを奪うことは、今を生きる自分にとっての苦しみであって、それを傍観し、許すことが出来ないわけです。
そんなこと、ここに書くまでもない、当たり前のことですよね?しかし、今を生きることに必死になっている状態であれば、自分が経験することの無い未来に対して備えることに一生懸命になることは、やはりそう簡単ではないだろうと思います。持続可能であることの価値が、物質的な消費を拡大することの価値を明確に上回るということに世界中の人々が気づいたなら、持続可能性のために努力することは我慢でも何でもなくなり、より良い生き方を追求する自分自身の成長のための価値ある努力になるはずです。
私自身は、日本の高度経済成長期に生まれ育ち、テクノロジーに憧れ、新たな物質的価値を創造することの重要さを次の世代にも伝える職業に就いたことで、この価値観の大転換に対してかなり遅れた生き方をしてきたと思います。未だに変われていないことも多くあると思います。しかし全部間違っていたというのも極論過ぎで、生活の質を大きく向上させる数々の素晴らしいテクノロジーが存在し、それを提供し消費する循環が経済的成長をもたらしてきたことも事実です。経済成長はそれ自体が目的化してはいけないでしょうけど、お金が無ければ病院も建たず、病気になっても誰にも助けてもらえません。お金が循環しなければ、安全で健康的な食糧を安定的に手に入れることも出来ません。様々なことを学び、経済的成長と共に便利さや豊かさをもたらすテクノロジーを生み出すことは、人としての成長に反するものではないでしょう。
今必要なのは、やはり価値観のシフトだと思います。過去の全否定、破壊から新しい生き方を創造するということではありません。より大きく、より速く、より豪華に、の様な20世紀型の古臭い価値観には別れを告げ、もっと発展的な生き方としての持続可能性の追求に、我々の英知を結集し努力する必要があります。その進化を遂げられなければ、人類は恐竜の様に絶滅することになってしまいます。
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