山形俊男先生にご案内頂いた、SRI2021のオンライントークを今朝拝聴しました。
SRI 2021 Integrated Action for the SDGs
ライブ配信だったのですが、後日録画が見れる様になるのかも知れません。ご興味のある方はSRIのウェブをチェックしてみてください。アカデミアと国連関係機関、そしてアマゾンと多様なパネリストによるパネルディスカッションでした。
話を聞きながら思ったのが、SDGsや脱炭素についてこういう国際的な議論、問題点や解決策、経験についての情報意見交換は大変重要な一方で、地球規模の問題に対して最も正しく万能な唯一の解決手段を見出すことは不可能だし、それを一生懸命考え続けるのが国際連携の目的ではないな、ということです。地域ごとで、最適な解決策は当然異なります。
今日のパネリストはフィリピンのMariaさんを除いて全てお金持ちの国の人たちでした。SDGs目標で同じ番号とタイトルの下にある課題であっても、それぞれの国の人たちが抱える問題の本質や、解決に対して有効な手段というのは、当然ながら全く違うものになります。例えば食糧問題について言えば、お金持ちの国についてはその供給や安全をどう確保するかは問題ではなくて、食品ロスを減らすことや、環境負荷が極めて大きい牛肉の消費量を減らすことなどの食習慣の変化が持続可能性のために最も大切なアクションになるでしょう。大量生産ではなくて、手間のかかる有機農業にシフトすることも課題です。一方で日々の食糧供給や安全性も十分ではない極貧国では生産の安定と量、コストが優先課題です(フィリピンは極貧国ではないですけど、貧困地域はあります)。
お互いの抱える課題について相互理解を深めることや、互いの経験から学ぶこと、そして積極的な技術的経済的協力のための国際連携は大切ですが、地域ごとの問題解決については地域に任せるしかないと思いました。お金持ちの日本人が極貧国にとって有効な解決策を適切に考案することなど出来ません。Global Commonsという言葉が何度も出てきましたが、知識とか物質とかの共有財産という本来の意味はさておき、何が人類に共通しているかと言ったら、幸せでいたいこと、不安が無く安全安心で持続的な社会に暮らしたいことであり、さらに他者から攻撃されたくないし、他者を攻撃したいとも思っていないということです。紛争が起こるのはそこに利害の対立があるからで、楽しむために他者を攻撃する人はいないと思います。そこに人種や国境を越えたTrustがあるべきで、そのCommon Goalsに向けてそれぞれが異なるアプローチで挑戦を続ける時に、Cooperateしなくてはならないのだと思います。それは利害の対立による紛争を避ける意味でも重要ですし、お互いを思いやる気持ちによる国際的な支援でもあると思います。だから、国際連携は重要だけど、それはお金持ちの国の人たちが考える正しい生き方を世界に広める、という活動ではないということですね。
多様性を互いに認め合い、尊重することと、相互の信頼関係と協力、これが無いとSDGsの達成は絶対に無理だろうと思います。他者の問題には全く無関心で、問題の解決は技術を開発する人や行政に丸投げでは無理だということでもあり、各国のアカデミアの人間はステークホルダーたる国民に対して学んできたことを伝え、脱炭素がなぜそれほど重要なのかを理解してもらい、行動を呼び起こしてそれに寄り添い続けることが大切と思います。やり方は様々であったとしても、たどり着きたいゴールは一緒です。
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