このブログについて

国立大学法人山形大学工学部教授の吉田司のブログです。2050年までのカーボンニュートラル社会実現に向けて、色々な情報や個人的思いを発信します。発言に責任を持つためにも、立場と名前は公開しますが、山形大学の意見を代弁するものではありません。一市民、一日本国民、一地球人として自由な発言をするためにも、所在は完全に学外です。山形大学はこのブログの内容について一切その責任を負いません。

2022年4月4日月曜日

Z世代と民主主義

 タイトルをウクライナのシリーズで、「ウクライナ6」にしようかとも思ったんですが、恐らく話の中心がウクライナではなくなるので、表題の様にしました。でも、こうした考えが頭を過ぎったのは、今起きている戦争に対する深い憂慮と暗黒の時代が繰り返されてしまう理由を考え、過去と今を見つめる中で、私の子供たちもそれに含まれる「Z世代」への期待を抱き、自らの無能さを嘆くところに至ったからです。

Z世代ってのは、1990年代中盤から2010年序盤に生まれた世代で、生まれた時からICTを常用する社会だったので、デジタルネイティブとか言われています。その手前がミレニアル世代で、ジェネレーションYとか言われていますね。アルファベットはZで終わりますから、その次は無いと?言葉に気を付けて欲しいですね。いや、うちの息子は2016年生まれなので、Zの次ですよ(α世代?)。Z世代の特徴ってのは、はじめっからデジタルツールに慣れ親しんでいるので、そこに対する壁が全く無い、画面を介したコミュニケーションと対面でのコミュニケーションの間にさして違いを感じていないことが特徴でしょうか。別にここでZ世代の分析を始めようっていうんじゃないです。それはどこか別のところを見て下さい。でも、色々な特徴が現れてきている様には思います。今の大学生はまさにZ世代です。

このブログだって、インターネットを介して公開しているわけですが、私はスマホで長い文章は書けませんので、PCのキーボードで書いています。Z世代は確かにいっつもスマホをいじっていますけど、別に長い文章を書くわけじゃないですね。だから、こういう長い文章は書かないし読まない?でも、どうにかして声を届けたい。ジェネレーションギャップがどうの、なんていうことを言い出すわけじゃないです。人間、驚く程変わらないです。嘆かわしいほど。それが良さでもあり、悪さでもある。人種や宗教が違っても、世代が違っても、人が求める幸せは同じようなもの。それが良いんだけど、それ故に民主主義ってのは成立しない。一方で社会は物理的に変化せざるを得ないし、変わることが出来る、変わらなくてはならない時に本当に来ている様に思います。その変化への力を、Z世代が持っていると信じたい。社会の仕組みが変わることで、個人の行動様式には変化が現れます。古い世代が創り上げてきた社会の仕組み、もっとストレートに言えばオジサンが支配する社会の仕組みは軌道修正程度ではどうにもならない程に錆びつき、固まり、自らそれを放棄して次の世代に委ねることも出来ない、自らでは変わることが出来ない末期的な状況、死の直前にあります。これを奪い取ってZ世代に新しい社会を創り出して欲しい。持続性のある人類社会のために。

学校でその言葉を習い、自分なりに「こういうこと」と理解してそれを信じ、支持してきたつもりであった民主主義が、実は成立さえしないまま死に絶えようとしている。本当に「民主」であるというのは実に難しいことだと思いました。「自由」と「人権」であれば何とかなります。でもそれは無視され、あるいは激しい攻撃に遭って破壊されることがありますけど。まあ、それでも「私は自由だ!」と主張すればそれは立派な自由。決して服従しないのはそれも人権。ただ、民主主義が目指すのは、社会の仕組みが民の意志を反映して変化し得るという柔軟性や多様な生き方を尊重する寛容さを持っている、ということだと思います。でもそこに人が人である故の限界があり、利害の対立によって何も決められない機能不全の状態に陥ります。表向き民主主義を標榜する社会がどう機能しているのかと言えば、「声が大きい人が決める」仕組みによってです。もちろん、本当に声が大きいという意味ではなくて、それは社会的名声である場合も少しぐらいはあるかも知れませんが、実質的には金の力のことです。今持っているお金というだけじゃなくて、金を生み出す力も含みます。使い方を誤れば、金が自分の名声を破壊することもあるかも知れませんが、上手にやれば金で名声さえ買えると思います。当然そんなものに本当の価値があるわけではなくて、個人は10年もすれば忘れられますけど、失われるのが嫌で自分の子孫に託すか、自分が支配する民に分け与えて壁の内側に留めようとするのが王政や帝国主義であり、GAFAの様な企業が肥大化するのも人ではないけど同じ現象です。要するに、資本主義が民主主義の最大の敵であり、金の力が最強である世界において民主は成立しません。しかし、誰が金にそれ程の力を与えているのかと言えば、それは我々自身であり、金の力の前においては民主などあっけなく手放してしまうのです。すなわち、資本主義を破壊し、金の力を奪わない限り、それを使って世界を支配してきたごく一部の人の力を封じて民主を実現する術はないと言えるでしょう。価値観の変化によっては、金は唯一ではない手段の一つに過ぎず、金よりも結果をより重んじることが可能になると思います。Z世代の特徴の一つは物質的欲求がその前の世代に比べて低いように感じています。それ故に、金の力を弱めさせて、持続可能であることを最上位とした社会変革を起こして、真の民主主義を獲得できるかも知れないと、期待してしまうのです。

プーチンのこれまでについてのドキュメンタリー映画と、マイケル・ムーアの華氏11/9を見ました。プーチンは、その経歴とある意味幸運にも恵まれたことで、金と軍事力という強大な力を得て、その使い方、威力の最大化の術にも長けた人物であることが良く分かりました。多くの知識人が「実利主義者のプーチンが明らかにロシアに利するところの無い今回の戦争を始めたことが信じられない」と語っていますが、強大な統一ロシアの復活とそれを成し遂げその中心にいる強いロシア皇帝となる野望を叶えるための精神論が根源であり、力を崇拝し、自らのものとする野望(と努力)は今も昔も実は変わっていないようです。ロシアの実利など、今年70歳になるプーチン自身にとってはさして重要ではないと思います。強いロシア、皆が畏敬の念を抱くロシアの復活を見ることなく、どうせあと20年程度の余生を過ごすのか、国民を道連れにしてでも自身の崇高な精神論の成就に身を投じるのか。あと20年なら後者、出来ないのならあと5年で死んでも同じこと。あの強いキャラクターならば、そう考えて不思議はありません。すなわち、狂人ではないですけど、プーチンは明らかに古い世代に属する象徴的支配者的存在であり、民主主義の敵です。

そういう専制主義のリーダーは他にも思い当たりますね。外から見て、あからさまに民主ではないんですけど、先日NHKでやっていた「サンデル教授の白熱教室」で中国の復旦大学(エリート校)の学生が語っていたことに驚きました。「民主主義って時代遅れなの?」が番組テーマで、東大などの日本の学生、ハーバード大などの米国の学生も参加のオンライン討論会。中国の学生が「中国は民主主義の国、アメリカ式民主主義と異なるだけ」と断言していました。みんなのことを良く考えて優れたリーダーが政治をする社会は民主主義だと。一方の米国側は選挙の重要性、その決定が良くても悪くても自分たちがルールを決めるのが民主主義、政治批判をしても構わない言論の自由も民主主義、と主張。まず、リーダーが民のことを考えてルールを作り、従わせることは王政の国家と同じ(良い王様か、悪い王様かの違いはあっても)で、政治批判が許されない、言論の自由が無い時点で民主とはかけ離れていますので、中国の学生の主張は全面却下させて頂きます。一方米国学生の言う選挙制度と言論の自由、これは重要な前提であって、そこは米国も(一応だけど)日本もOK。ただ社会のルールを民が決めるというプロセスが機能しているかと言えば、日本はもちろん×、じつは米国も×だと思います。なので、民主主義は時代遅れどころか、それを本当に実現出来ている国は未だに無いと思います。その認識を新たにしたのが、華氏11/9でした。2016年11月9日にドナルド・トランプが米国大統領になった悲劇を扱っているのですけど、内容はそのことだけでなくて、民主主義がどんどん遠のいていることの悲劇が伝えられていると思いました。それを阻むものは、やはり金です。金持ち(=声の大きい人)がその力を使って社会の中心に居座り、ルールを決め、そのルールによってより金持ちになる(=より大声になる)仕組み、逆にそこから取り残された貧困層は金だけでなく健康さえ奪われ、戦う力もなく、希望を失い、選挙にも行かなくなる。そういう図式です。日本ではそんなの常態化していますけど、自由の国アメリカがそうなのか!とショックでした。専制政治のリーダーは一般市民に「あなたはどうして欲しいですか?」なんて聞かないし、「うちは民主主義ですからね」などと嘘はつかないからある意味良いです。表と裏が無い。国が悪い状況に陥れば、それは王様、独裁者の責任。その全責任から逃れることは出来ないです。一方表向き民主主義を装っている国は質が悪いですね。実際には特定の人物や組織の利益(民主主義ではなく、金権主義、拝金主義ですね)を優先する不公正なルール決めをやっている一方で、民が苦しんで苦情を言ったところで「私を選挙で選んだのはあなた」というエクスキューズが根底にあります。だから、フェイク民主主義が一番悪い。精神を満たしてもお腹は満たされないけど、精神論の方がまだ純粋なのかな。生きてさえいれば良いと。NHKの石川一洋解説員も言っていましたけど、ロシア人の辛抱強さを侮ってはいけないと。食べるものも、着る物も、あればそれだけでも有難い、この精神を汚してまで贅沢など望まないくらいに。だから、最新の中立系世論調査でプーチンの支持率が80%を超えるという、我々には信じ難い様なことになるんでしょう。

専制政治においては、精神力が金の力を越えることがあるのかも知れません。しかし金と権力が結びつく社会においては、金から力を奪わない限り、民主主義は実現出来ないのです。大切なのは、価値観のシフトだろうと思います。モノは無くても、小さなスマホのスクリーン越しにつながり合い、共感できるZ世代。その声を大きくしてほしい。Z世代は世界人口の1/3を占めるそうですよ。団結し、選挙に行き(うちの娘はあと10年経たないと選挙に行けないけど)、古い世代を一掃して欲しい。今頃になってこんなことに気付き、何も出来なかった私は愚か者です。もっと早く気付いていれば、政治の道を歩むべきだったか。でも失言王の私は、きっとすぐに抹殺されていたことでしょう。それが私の能力の限界ですね。我が子には許しを請うしかないです。そして、声を発することが出来る限りは、こうした思いを未来の世代に伝えていきたいです。是非ICTの力を使って自ら見聞きし、学び、気づき、立ち止まり、考え、仲間と話し合い、さらには古い世代とも対話し、行動を起こして下さい。どっちみちオッサンは先に棺桶に入ります。あなたを妨げる人はすぐに死にます(一緒に死なない様に気を付けて!)。遠慮は要らない。私は生きてる限り応援します(私の敵よりも長く生き延びたいっていうことじゃないですよ)。

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125

 「125」この数字が意味するのは何でしょう?はい、私はオートバイが大好きで、特に手に余らず、使い切れるパワーで軽量な125ccクラスのバイクが好きです。高速道路は乗れないけど、バイクで高速道路走っても、ちっとも面白くないし、二人乗りだって出来るし、燃費良くて維持費安いし。今ウチ...