このブログについて

国立大学法人山形大学工学部教授の吉田司のブログです。2050年までのカーボンニュートラル社会実現に向けて、色々な情報や個人的思いを発信します。発言に責任を持つためにも、立場と名前は公開しますが、山形大学の意見を代弁するものではありません。一市民、一日本国民、一地球人として自由な発言をするためにも、所在は完全に学外です。山形大学はこのブログの内容について一切その責任を負いません。

2022年7月11日月曜日

ウクライナ6

 久々に、このテーマです。最近目立った動きがあったわけではないです。むしろ、他のニュースが大変だったこと、そして開戦から4か月半が経過したことで、人々の関心が薄れかかっている様にも思え、ニュースでとり上げられる時間もめっきり減った感じさえします。

戦況としてはドンバス地方に中心が移り、同地域の支配と一方的な独立宣言へと持ち込もうとするロシアの意図が明らかです。欧米各国が軍事支援を小出しにする中で戦闘が長引き、さらに多くの人命が失われ、国土が荒廃し、終わりの見えない状況です。この先どうなるのか、を考える中で、過去の戦争がどの様に推移し、どんな結果を生んだのかに想いを馳せています。「もう見飽きた」なんてもってのほかです。太平洋戦争は1941年12月8日の真珠湾攻撃で急に始まったわけではありません。その前の何十年にも渡る大国の覇権争いの末に、日本を破滅へと導く日米開戦へと突き進んでしまったのです。世界を取り巻く不穏な空気、これを増幅させる気候変動の問題、発展と繁栄の時代の終り、閉塞感。「世界の終りの始まり」の様に思えてならず、この時代に一体何をすべきなのか、出来ることはあるのか?に対して明確な答えを見いだせない自分自身を恨めしく思います。

そんな思いを余計に募らせたのが、7月8日の安倍晋三前首相の殺害事件です。1932年の五・一五事件になぞらえている人もありました。時の首相であった犬養毅が海軍の青年将校に殺害された事件です。気に入らないことがあるのなら、気に入らないと言うことは良いです。しかし、暴力でそれを封殺することは決して認められません。90年の時を経て、こんなことが再び起こってしまうことは、やはり暗黒の時代が繰り返されようとしていることの象徴ではないでしょうか?参院選では自民が圧勝し、遂に憲法改正の発議に必要な議席を衆参両院で獲得しました。これからその議論が本格化するのかと思いますが、憲法とは政府を国民がコントロールするための国民憲章であって、政府が国民をコントロールするためのルールではありません。改正案は政府から示されることになるかと思いますが、是非自分自身の考えで、日本という国がどんな国であって欲しいのか、をよく考えて、声の大きい人、多勢の意見に押し流されることのないようにしてください。特に争点となる9条ですが、あのような徹底平和主義が条文にある国は世界中で日本ぐらいではないかと思います。「他国から押し付けられた」とかを根拠に改正を訴える人がありますが、大いなる過ちを犯し、膨大な犠牲を払って深く反省することが出来た日本だからこそ勝ち取ることの出来た、世界に誇るべき平和憲法だと私は思います。絶対守るべき。自衛隊の明記も不要。

さて、話をウクライナに戻しますが、やっぱり日本の過去と対比してしまいます。過去の日本と対比されるのは、今のロシアです。今のウクライナと対比されるのは、過去の中国です。そして過去の大戦においても、今の戦争においても、その行く末に大きく影響するのが大国アメリカです。大日本帝国の拡大の歴史は、日清戦争にまでさかのぼります。台湾の統治、日露戦争による樺太の割譲、朝鮮半島の支配、1931年の柳条湖事件(満州事変)を経ての満州国建国、日中戦争による中国への侵攻、仏印進駐と拡大し、ついに1941年の対米開戦へと向かいます。アジアの同胞を西洋列強から守り、日本を中心とする大東亜共栄圏を形成しようとする当時の日本の理屈と、ロシア民族の統一の名の下にウクライナ(や、さらにジョージアやモルドバなども)に侵攻する今のロシアと重なります。そして、当初ヨーロッパの戦争(ナチスドイツとの戦い)にも、対日戦争に対しても消極的だったアメリカを動かしたのは、前者は英国首相のチャーチル、後者は国民党を率いた蒋介石でした。蒋介石の外交戦略は誠に巧みで、勝ち目のない日本との戦いをグローバル化し、まんまとその罠にかかる様にして、絶対に勝てないアメリカに対する無謀な戦争に日本を向かわせたのです。その過程において、西洋諸国に対して妥協的な姿勢を見せる政治家が血気盛んな若い軍属に暗殺されたりした、荒っぽい時代、力で言論をねじ伏せる空気があったわけです。恐ろしいですね…。

そうすると、今のゼレンスキー大統領と蒋介石が重なって見えます。当時の中国にも、結局自分の利害しか考えてはいない米英に対し、民主主義への不信が募っていきます。それが今日まで続いているかな?確かに蒋介石の関心はあくまで中華民族の独立を守ることであり、米英を信頼していたわけではなくて、独日との講和やロシアとの同盟も模索していたみたいです。それを今に置き換えると、ゼレンスキー大統領は中国を独立へと導く蒋介石のように、クレバーに交渉出来るのかどうか、と思います。でも、当時は敵を敵と戦わせるかのように、日本を米国と戦わせることで日本を滅亡に導いたわけですけど、今日的にはロシアを米国と戦わせるわけにはいかない。ロシアが勝つことは日本と同様に無いでしょうけど、強大な核兵器を持つロシアと戦争になれば、NATOが勝利して終わり、ともいきません。だから、ゼレンスキーさんは、国際社会を巻込んでも、対ロシア戦争に駆り立てることは出来ないし、やって欲しくもないんです。だから、ロシアが疲れるまで、戦力を小出しにしながら戦争を長引かせることになるのでしょうけど、紛争地域にいる人たちが可哀そうでならない。全くもって、列強の覇権争いの犠牲者です。当時の大日本帝国の様にロシアを追い込めば、最後の手段としての対米開戦もあり得なくはないです。そうすれば世界は終わります。そして、戦争が長引き、米英やEUがさっさと自分たちを救済してくれないことに対して、ウクライナ国民の中にも失望感が生まれるのではないかと思います。民族的なつながりが濃くても、侵略戦争の記憶から中国の人々が決して日本、日本人を信頼できないと感じるように、ウクライナの人々も、こうなってはロシアを同じスラブ民族の仲間として受け入れることは極めて困難でしょう。でも、一方で西ヨーロッパや北米も、自分たちの仲間ではない、という孤立感に追い込まれそうです。人種とか宗教とかいうものを越えて、同胞愛を発揮し、信頼し合える関係を築くことはそれほどにも難しいことなのでしょうか。

と、考えていくと、80年前の世界に対してテクノロジーは確実に、大きく進歩していて、戦争の手段はこの上なく強力になり、極めて短い時間に世界を焼き尽くす力があるのですけど、一方で人はちっとも進歩していないというか、相変わらず力で相手をねじ伏せる帝国主義的な戦いの構図、異なるモノへの不信、根底にある人の心が透けて見えます。だから、今事態は一触即発の危険な状態にあり、早くこの危険な状態を脱さなくてはならないのに、その打開策が見えない苦しい状況に陥っていると感じます。

皆さんはどう思いますか?この戦争の行く末に、勝者も敗者もいないことは明らかではありませんか?それどころか、世界は気候変動との戦いに一致協力しなくてはならない時です。人類社会がその終わりに向けて、その暴走を止めようとはせず、さらにその時が来るのを早めようとしているかのごとくです。私たちは、過去の過ちから学ばなくてはなりません。場当たり的な解決策であれば、過去も、どの地域でも、誰かがそれに一生懸命取り組んで、大きな犠牲を払ってでも過渡的な平和と安定を守ってきたのです。でも、そうした場当たり的対応も、既に効果を失いつつあるし、過去の繁栄を再び、というのはとてもありそうにないと感じます。

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125

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