久々に、戦争以外の話題です(でも、戦争のことにつながるけど)。まだ食べられる食品が捨てられてしまう、フードロス、聞いたことありますよね。一方で重要なのが日本の低い食糧自給率。日本は世界最大の食糧輸入国でもあるそうです。
「日本は世界最大の食糧輸入国であり、2008年(平成20年)財務省貿易統計によると、食糧輸入額は約5兆6000億円で世界全体の10%を占めている 。 日本における2018年度の食料自給率は、 カロリーベース 総合食料自給率で 37% (直近では38%に改善)。」
フードロスの問題は、農林水産省のウェブにも説明されています。
確かに、解決すべきゆゆしき問題と思えます。しかし、アメリカや中国のフードロスが凄いですね。如何にモノを浪費する社会かの尺度の様にも見えます。
しかし、じっくり考えると、フードロスは必要、とさえ思えるのです。確かに、日本で廃棄される食糧を分け与えることが出来たなら、多くの人がお腹を空かさずに済むという痛々しい現実もありますが。一方で日本の食糧自給率の低さは大問題です。過度の輸入依存というのは食糧安全保障の観点からも問題ですし、環境負荷の高さという点でも問題です。もっと地産地消、循環型、自給自足に変えていかないと。
こんなことを考えたのも、先日山形市で行ったセミナーで、参加者の方から「農業生産における脱炭素についてどうお考えですか?」というご質問を頂いたからです。日本の農業は小規模生産で、効率という点では低いです。化学肥料の生産に伴う化石燃料の大量使用、農機具の低排出化、サプライチェーン全体での低排出化、農業廃棄物の資源利用など、技術的に取組むべき課題はありますし、それはそれで進めるべきとは思います。しかし、こと食糧に関しては十分な量を常に安く手に入れられる状況を維持することがより優先度が高いと思いました。セミナーでもそうお答えさせて頂きました。
余るぐらい十分に食料がある、というのは大切なことです。もしもフードロスを画期的に低減して、必要量ギリギリの生産と輸入で済むようになったら、それは大変危うい状況となります。今回のウクライナの戦争で、穀物など基本的な食糧の価格が急騰したこと、温暖化による異常気象のために大凶作に陥る地域が発生していること、などを考えると、ギリギリの状態というのは、もしもマイナスの状況となった時に大変深刻です。少し余っているぐらいが丁度良いと言えないでしょうか?
一方で、食糧自給率の低さは、これまた危ういです。エネルギー自給率の低さ以上に危うさを生んでいます。他国と常に友好的な関係にあり、その他国が十分な食糧生産力を持っているならば、売ってもらうことで解決できます。しかし、今回の戦争でロシアが食糧を武器として国際社会に圧力をかけていることからも明らかなように、食糧供給の停止は相手に大きな打撃を与えます。日本の食糧自給率38%には食肉や鶏卵、乳製品が入っていますが、これら家畜の飼料は殆ど輸入品です。すなわち、その供給が止められたり、凶作になったりすれば、たちまち市場から食糧が消滅してしまいます。例えばアメリカの大規模農業による穀物飼料の生産は、持続性を度外視したものです。地下水の過剰な使用や土壌の酷使の上に成り立っており、持続性はさておき、ひたすら経済効率を追求した究極の姿です(遺伝子操作や病害虫から作物を守る多量の農薬使用も含め)。そこに依存してしまっているのが日本での食糧生産なのです。ここ山形では、それでも多くの自然の恵みがあり、十分以上の食糧生産能力がある様に思えますが、それとて大都市の多数の胃袋を満たすためのものであって、全体として十分とは言えないです。
先日テレビである方が「日本の稲作は減反などせず、余った分は輸出すればいい。食糧輸出は潜在的な食糧備蓄になるから」と言っていました。それこそ、皆が考えていることだと思います。戦争にせよ、凶作にせよ、有事の時は他国などへは売らず、自分のところで消費するという考え方ですから。すなわち、フェアトレードな対価を支払ったとしても、入手できなくなる危険性に相互にさらされているわけで、食糧安全保障が如何に重要かということが分かります。
今後、気候変動の問題に加えて戦争による対立もあって、食糧を他国に依存していると、いつ深刻な状況に陥るか分からないリスクが拡大します。日本は、小規模生産ゆえに効率化を追求しても追求しきれないところがあります。フードロスの削減も、効率追求の考え方です。ですから、地産地消、自給自足を飛躍的に高め、同時にそれが持続できるような循環型とすることが大切です。高くなっても仕方がないです。安い輸入品には依存しない。それはいつまで安いか分からないのですから。余る程食糧が得られる状況、それが理想だと思います。持続可能性を優先すれば、コストの上昇は免れないです。