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国立大学法人山形大学工学部教授の吉田司のブログです。2050年までのカーボンニュートラル社会実現に向けて、色々な情報や個人的思いを発信します。発言に責任を持つためにも、立場と名前は公開しますが、山形大学の意見を代弁するものではありません。一市民、一日本国民、一地球人として自由な発言をするためにも、所在は完全に学外です。山形大学はこのブログの内容について一切その責任を負いません。

2026年9月25日金曜日

ナウル、ゴムケツ、平等公正の難しさ

 国連総会の一般討論では、報道の様に各国首脳が舌戦を繰り広げています。また、米中首脳会談など、ハイレベルな外交が行われていますが、伝わってくる内容からその実態を想像すると、今後に対して極めて悲観的にならざるを得ない。まあ、外交の場で変におしとやかになってはいけないでしょうね。言うべきは言わないと。本音を隠してはいけない。みんなそれぞれの立場で、不平不満もあるわけですから、それを発言出来る場があることは大切。国連が機能していないとか、国連など不要だという極論までありますけど、国連以外に議論の場があるでしょうか。先の大戦の後に決まった5つの常任理事国は時代に合わないのではないか、ということについては議論を進める必要もあるかとは思います。

まあ、それぞれに、ちょっと耳を疑う程行儀の悪い、特定の国や民族を侮辱する、度が過ぎる発言もありますよね。当然真っ向から対立する人たちがありますから、感情的になって喧嘩状態に陥る。到底皆が同意出来る落としどころには辿り着けないですから、何も決められないですわな。それでも国連総会には意義があると思いますよ。それが世界のリアルなのだということから目を背けてはいけない。ただ、各国の代表さん、大変だとは思いますけど、喧嘩だけして帰って来ちゃいけない。「ウチの言い分を言ってきてやったぜ!あーすっきりした!」ではダメです。対立する相手の言い分をしっかり聞いてくること。ウチの何が気に入らないのか、それを受け止めて持ち帰らないと。だから、「無言の抗議」として対立する国の演説の時に会議場を退席するのは良くないな。どれだけ大変でも、話し合いを続けて、決して殺し合いをしない方法を見出すまで諦めてはいけない。それが本当の外交であって、代表者さえ相手の主張を理解しようともせずに帰ってきたら「いっちょやったるか!」になるのは当然。他の人たちはもっと無知ですから。

民主主義の国に生まれて、一人一人の意見を尊重することの大切さって、子供の頃からずっと教えられてきませんでしたか?私はそうです。「人権尊重」「差別しないこと」「平等公正であること」「正義を追求すること」これら全て、そうだよね、とは思うものの、実はどうすれば正義を貫けるのか、それは本当に平等だと言えるのか、あらゆる場面で差別が起こり得る、というのが本当に難しい。自分にとっての正義が他者にとっての不正義であることなんて当たり前。そもそも、こんなことに考えを巡らせることが出来るのは、自分にそのゆとりがあるから。お腹を空かせて、生きていくのが精いっぱいだったら、どんな手段を使っても食べることが正義、子供に食べ物を与えられることが正義。その時、他の人も同じことを考えますから当然正義と不正義がぶつかり合いますよね。豊かな生活やゆとりを手に入れたのは努力の賜物であって、それを得られない人は怠け者だったからだ、という主張をする人もあるかも知れません。自分は怠け者にならないように生きてきたつもりではありますが、だから今の暮らしは当然享受して良い権利なのだ、とは全く思えません。戦後のボロボロだった時代から再起して、豊かになった日本に生まれてきたことがラッキーだったから、と思います。「お父さん、お母さん、生み育ててくれてありがとう!」って、つくづく思いますよ。自分はラッキーだったんです。そのLuckを無駄にしなかったことが大切だったと思います。パレスチナとか、ミャンマーとか、あんなひどい目に遭うのは個人のせいでは絶対ないです。逆に、豊かな国に暮らす人たちは自分の正義を貧者に押し付けていないか、自分自身を客観視できることが大切ですね。

そこまで言っても、何をもって平等公正だと言えるのか、難しいなあと思わせるニュースが2つありました。「ナウル」という国をご存知ですか?ミクロネシアの小さな島国で、太平洋戦争中は日本が占領していた時期もあるようです。今年同国はその国名を"Republic of Nauru"から"Republic of Naoero"に変更する(戻す)ことになりました。略称も従来のNRUからNROに変わるそうです。その日本語名も「ナオエロ」なのかと言えば、それはまだ決まっていないようです。Naoeroが正しい名前なのだということですが、現地語の"a-nuau-a-a-ororo"(私はビーチに行く)を縮めたものだとか。占領民がそれを発音出来なくて、"Nauru"になり、それが国際社会で使われていたそうです。祖先から伝わる正しい名称に戻すことについて、今回国連総会で同国のアデアン大統領からスピーチがありました。

ICCからの脱退を表明「中立ではない。独立だ」ナオエロ大統領が国連で問う、小国の主権と国際秩序(堀潤) - エキスパート - Yahoo!ニュース

ICCからの脱退を表明するというのも大きなニュースです(トランプさんに同調したわけではないようです)。深海の鉱物資源開発については、「海洋の環境を守れ!掘るな!」ではなくて、当事者たる同国の人々にとっても良い未来を築くためのフェアなルール作りを急ぐべき(要するに、分け前よこせ、という本音も見える)でした。いずれにせよ、小国の立場というのを考えさせられる内容でしたね。見えている世界観が違う。列強が勝手に覇権争いをしていて、小国はそれら大国から「お前はどっちの味方だ!?」と問われるわけですが、我々はどちらにも与さない、尊重されるべき独立国だ、という主張なわけです。ごもっとも。Naoeroが何故Nauruになったのかと言えば、勝手にやってきた「よそ者」がそう呼ぶようになったからです。だから、本当の名前、Naoeroに戻すという宣言には国際社会に認知され、その尊厳を守るという深いメッセージが込められているわけです。ちなみに、Naoeroの読みはカタカナの「ナオエロ」でも正しくはありません。無理矢理カタカナで書くと「ネェォロォ」みたいな感じですが、どっちにしても日本語の音にするのは無理!このことは次の話に続きます。あとね、小国でも認知され、尊重されるべき、は分かるんですけど、実際のところは「国際社会における正義」ってのも大国が勝手に決めてるルールだと思います。日本の主張だってそう、日本は大国ですから(世界の1.56%)。Naoeroの人口って1万2千人、世界人口の0.00015%。民主主義ってのは多数決でしょうか?違うよね。少数であっても無視される対象であってはならない。でも、何か決めようって時に多数決を尊重しないと決めようが無いってのも実際起こること。しかしまあ、大国たち、さらには金持ちの国たちが勝手に「これが世界のルールだ!」と決めて、それに従わされるのはマイノリティーにはたまったもんじゃないですよね。分かってますか?G7(特にアメリカ!)のリーダーたち!いや、今はG2(アメリカ、中国)ですか!?

もう一つは、様々な競技で熱戦が繰り広げられたアジア大会のこと。女子バレーボールは決勝戦で中国にストレートで敗れ、惜しくも銀メダル(残念ですけど、頑張った!)。大活躍した中国の選手、呉夢潔さん。アナウンサーはその名前を日本語読みで連呼「ゴムケツを止められない!」で話題になった様です。姓・名に分けると「ゴ・ムケツ」なんですけど、連続するとねえ。陳厚羽(チン・コウウ)さんという選手もいて、連続読みしたらもう放送禁止。「中国人の名前(漢字)を日本語読みするのをやめて!」というコメントがSNS上に多発した様です。

中国選手の名前を日本語読み?実況に違和感の声! | るりブログ

中国語での発音に近い音にアルファベットをあてたのがユニフォームに書かれた選手の名前で、これは日本語の漢字読みとは全然違う。呉夢潔さんは"WU M. J."と書かれてますが、カタカナで似せると「ウー・モンジェ」でしょうね。より正しくはピンインで書くのが良いんでしょうけど、それは外国人には大変。なので、漢字を日本語読みするか、似せたカタカナにするかの二択でしょう。日本語の読み方だとそうなるとは言え、自分の名前と全然違う音で呼ばれたら多少気分悪いですかね。反対に、日本語の名前が中国でどう呼ばれるかと言えば、大抵は中国語での発音になると思います。私、吉田司は「ジーティェン・スー」(これまた本当はピンインですけど、カタカナだと四声は表現出来ない)。アルファベットならTsukasa Yoshidaと書きますけど、これをアメリカ人とかが発音したら「ツカサ・ヨシダ」ではないけど、まあ自分の名前が呼ばれたことぐらいは分かる。厄介なのは、中国語と日本語で同じ漢字を使うから、自国の読みをあてることが出来てしまうんですよね。好都合なのは、その音から漢字を判別出来るということでしょうけど、Tsukasa Yoshidaから司・吉田を想像出来るアメリカ人はいない(日本語が出来る人は別)。なので、漢字が分かるかどうかはあまり大切ではないかな?なので、「その人の名前の音に近くなるカタカナ表記にする」に一票。そうすると、習近平は「シュウ・キンペイ」ではなくて「シー・ジンピン」でしょう。恐らくそのカタカナのとおりに発音すると中国の人からは訂正されるのでしょうけど、少なくとも本来の名前を尊重している(だから先の「ナオエロ」も「ネェォロォ」で頑張るか?)。だってGeroge Washingtonだって「ジョージ・ワシントン」ではないでしょ?ウチの学生もお世話になった、米イリノイ大学の著名な先生にAndrew Gewirthさんがいます。実は彼も私も若手の頃、あるセミナーで私が彼の講演の座長で、名前を紹介しなくてはなりませんでした。「Andrewは簡単だけど、Gewirthって???」本番前に本人に音を確認して、OKもらったのでその様にしましたが、未だにカタカナ表記はどうするか悩みます「アンドリュー・ゲヴィアス?」。実はこういうのを毎度やっていて、毎年アメリカから7,8人学生を受け入れるサマープログラムの書類準備で、大学から渡されるフォームに名前のカタカナ読みを書く様に指示があります。「こうかなー」と思って適当に書くんですけど、後日、本人に会って名前を聞くと「ちょっと違うなあ」ということがよくあります。まあね、名前って本当に色々。特にアメリカだと移民系の人も多くって、アルファベットの綴りを見ても全く音にならない人もよくあります。でも、実際に日本に来てもらって「あー、マシューさん、おはようございます!」で良いじゃないですか。だったら中国の人にも「ゴムケツさんですね!」じゃなくて「ウーモンジェさんのファンです!」の方が良くないですか?

ということで、最後は少し脱線してしまった感じもしますが、名前をどう呼ぶかって、それだけとっても相手が自分をどう見ているかを反映しています。世界の多様性を受入れ、全ての人々を尊重すること。常に対話し、相互理解を深めること。自分の正義を押し付けるのではなくて、ちゃんと聞くこと。無視・敵対ではなくて、協力の道を探し続けること。とても大切だと思います。


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ナウル、ゴムケツ、平等公正の難しさ

 国連総会の一般討論では、報道の様に各国首脳が舌戦を繰り広げています。また、米中首脳会談など、ハイレベルな外交が行われていますが、伝わってくる内容からその実態を想像すると、今後に対して極めて悲観的にならざるを得ない。まあ、外交の場で変におしとやかになってはいけないでしょうね。言う...