このブログについて

国立大学法人山形大学工学部教授の吉田司のブログです。2050年までのカーボンニュートラル社会実現に向けて、色々な情報や個人的思いを発信します。発言に責任を持つためにも、立場と名前は公開しますが、山形大学の意見を代弁するものではありません。一市民、一日本国民、一地球人として自由な発言をするためにも、所在は完全に学外です。山形大学はこのブログの内容について一切その責任を負いません。

2023年1月30日月曜日

プラスチックを食べる微生物

 最近、あちこちで、特に子供向けに海洋プラスチックごみの話をしました。持続可能性を脅かす数々の問題の一つに過ぎないとは言え、プラスチックを餌と間違えて食べて死んでしまう海の生き物のことを知ったりすると、それは衝撃で、身近な目に見える問題なので、例えば温室効果ガスの濃度が増えて異常気象が多発する、その原因と結果の因果関係とかよりもストレートに分かりやすく、特に子供の関心を引く「つかみ」としては大変有効ではありました。毎年800万トンものプラごみが海に流れ出し、このままだと2050年には海のプラごみの重量が魚全部の重量よりも多くなる、なんて聞いたらショックですよね。

丈夫で軽いプラスチックはとても便利で、容器や道具としてだけでなくて、衣服として着てもいますが、そもそも化学合成的に極めて丈夫な高分子を作り出しているわけですから、勝手に分解したりしない。プラスチックをやめて紙や木に変えれば良いというものでもなくて、紙を作るにもたくさん水、薬品、エネルギーを使います。プラスチックを使った包装が無ければ、スーパーとかコンビニとか絶対成立しませんから、プラスチック万歳!なのです。中身を取り出したらすぐにその包装紙(プラスチック容器など)を捨ててしまうこと、毎日それを繰り返していることに罪悪感は感じますけどね。だからってやめられない。大半のプラごみはサーマルリサイクルされます。単に燃やして燃料にします。これをリサイクルと呼んで良いかどうかについては異論もあるでしょうが、最新の高温焼却炉では僅かな灰分がガラス状に無毒化されますし、CO2になってしまうこと以外には問題とはならないでしょう。今はそのCO2が問題なんですけどね。

しかし、心無い人が捨てたのか、風で飛ばされたのか、理由は何であれ、我々がこれだけ大量のプラスチックを作り、利用しているわけですから、当然環境中への流出は避けられません。お魚大好きなうちの娘も、そりゃあ悲しむわけです。すぐに分解されて消滅する生分解性プラスチックとかは、用途が限られてしまいます。一方丈夫なポリエチレンとかPET樹脂とかは流出すると微小なマイクロプラスチックになるだけで分解されず、それが上記の問題を引き起こしているというわけです。しかし、その後はどうなっちゃうの?と思っていました。ゆっくりとはであっても、自然環境の中で加水分解されたり、酸化されてやっぱり消滅するのかなあと思っていました。しかし、どうやらもっと凄いことも起こっているようなんです。なんと、プラスチックを分解する微生物がいるんです。

プラスチックを「食べる」スーパー酵素はプラスチック問題を解決できるか | CAS

そんなの常識でしょ!?という方もあるんでしょうね。私が知らなかっただけかも。上記には結構詳しく発見までの経緯や最近の研究について説明されています。2016年にプラスチックのリサイクル場で、PET樹脂を分解して、それを代謝して増殖する微生物が日本で発見されたそうで、プラスチックリサイクルの一助となるのでは、ということでその分解力を向上させるバイオテクノロジー研究が進展しているようです。腸内にこのプラスチック分解微生物を飼っている虫まで見つかっているみたいです。コイツはプラスチック容器をかじったりするんですかね?

プラスチックを食べる幼虫をカナダの大学が発見。マイクロプラ除去システム開発に貢献か | 世界のソーシャルグッドなアイデアマガジン | IDEAS FOR GOOD

泥臭いケミストリーしか知らない私は心底驚き、生き物の能力の凄さに感銘を覚えました。この微生物が直ちに海洋プラスチックごみの問題を解決してくれる様なことは恐らく無いんだろうと思います。今まで通りプラスチックをバンバン使って、そのゴミを虫に食べさせて、その虫を食べる???いや気持ち悪いなんて言ってられないです。人の身勝手な行動で生じた問題を自然が解決してくれるなんて、ちょっと都合良すぎ。もちろん、この微生物を人の目的に合わせて改良して、ゴミの解決と再資源化に活かす可能性を探る研究は良いと思うし、ワクワクしますね。

しかしまあ、このことを知って思ったのは「風の谷のナウシカ」の世界観なんですよ。宮崎駿さんって、本当に凄いな。終末戦争で荒廃し、汚染されきった地球(?)は腐海と呼ばれる毒ガスを出す植物(菌類みたいなやつ)に覆われ、それを守る巨大昆虫が共生している世界ですが、ナウシカはその腐海が水や大地を元の綺麗な姿に戻していることを見つけるんですよね。自然との共生の大切さを訴える、良く出来たドラマだと思います。そしてこの、プラスチックを食べる生き物の存在。これって、太古の昔から生存していたのでしょうか?PETが発明されたのが1941年、広く流通したのは戦後ですから、それまでは自然にはPET樹脂なんて存在しなかったハズです。そうすると、それを餌にする生き物がいるとも考えにくいですよね。ひょっとして、人間が大量のプラスチックごみを生むようになってから、それを食べる生き物が進化によって生まれたのですか?火を付けたら燃える化学エネルギーですから、それをエネルギー源にすると生きられるよ、という能力を新たに獲得するってこともある?まさに、ナウシカの世界ですよね。人が荒らしまくった世界を元通りにしようとする生き物が生れてくる?だとしたら、自然の力って本当に凄いです。ただ、それに甘えていたら、きっと人類は絶滅するんですよ。仮にそのプラスチックを食べる生き物が新たに生まれてきたのだとしても、それは愚かな人間を救うために生まれてきたのではなくて、この地球環境を守るために生まれてきたんです。でもまあ、とにかく自然の偉大さにただただ感心するばかりです。久々に、重苦しい嫌な話でなくて、夢のある話題でした。

2023年1月26日木曜日

イノベーション

 このところ、ずっと経済学の話が続いてきたように思います。経済学のみならず、国際的な情勢を分かっていること、歴史認識、理系の人たちにも大切だと思います。テクノロジーは、特に今の世の中においては人の強欲さを満たす手段として用いられ、ぼーっとしていると全く社会的意義の無いこと、もっと悪い場合は害を及ぼすことにさえ手を貸してしまうことになりかねません。理系の人の多くは素直過ぎて、社会を支配する層が示す基準に盲目的に従い、議論を戦わせることもなく(研究のこと以外議論が下手)、そういうふうだから社会の動向にも無知(無関心)でナイーブなところがあります。学者でさえも世界がどうあって欲しいと思うのか、成すべきこと、すべきでないことに対する基準が自分自身の中に明確では無いから、いきおい論文の数、インパクトファクター、外部資金とか、自分自身の価値の定量評価に使われる数字が気になり(理系は数字には敏感!)、学問の社会的意義を見失って翻弄され続け、挙句の果てはバーンアウトしてしまうか、あるいは世捨て人の様に自分の研究の世界の中に逃げ込んで、その社会的意義など考えなくなるように思います。どっちも良くないですね。

ということで、経済学というか、世の中の仕組み、人が辿ってきた歴史についても貪欲に学び、人の内面にも向き合ってこれから起こるであろうことを想像し、今の時代感覚を持って成すべきことに気付き、行動することも理系学者が学者らしくあるために必要だと思うのです。何もそれは学者に限ったことではなくて、テクノロジーに関わる全ての人について言えることです。単に利用される存在とならず、自分の行動に自らその意義を与えられることは大切です。学者になってからのこの30年あまり、科学の進歩に伴って業界は細分化され、専門性が問われる傾向が強かったと思います。専門領域で秀でることが個々の存在意義として求められてきました。しかしそういう細分化が進んだことで、互いの関係が見えなくなり、果ては自分自身の学問が世界とどう繋がっているのかさえよく分からなくなってしまい、分野を越えた協力というのを難しくしていました(YUCaNでの苦労でそれを痛感しています)。今再び、レオナルド・ダ・ヴィンチ的な博識の人が求められている様に感じます。失われた世界の絆を取戻すには、知識や理論だけでもない、実践と経験だけでもない、両方を兼ね備えつつ本当の意味で世界を俯瞰し、自分の周囲の都合や常識に流されない存在が必要です。それを目指してんだけど、自分の能力的になかなかそんなこと出来ません…。

テレビっ子(死語)の私は、活字を読むのが苦手で、スピード感も無いのでテレビとかメディアの情報を大量に仕入れます。ただ、いつも批判的にそれらを見ているので鵜呑みにはせず、そこから考え始めます。ここ最近の記事に一番影響を与えたのは、今年の正月に放送されたNHK BS1スペシャルのこの番組です。

欲望の資本主義2023 逆転のトライアングルに賭ける時 - BS1スペシャル - NHK

繰り返し見てしまうほど、中身が濃かったです。先日話題にした「労働力のステルス値上げ」もこの番組の中で渡辺努先生が言っていたことでした。色んな人が話をしていますが、多くがフランスの経済学者。やっぱり私、フランス好きだなあ。大勢の考えとか空気に引きずられている様なところが全く無くて、日本人と対極的です。とても説得力があり、うならされるのですけど、これらの経済学者が語るテクノロジーや産業は、やっぱり机上の話になっていると感じるところもあります。それは、実際にそれらに関わった経験が無いからでしょうね。例えば太陽電池やリチウムイオン電池を作るための産業技術がどれぐらいダーティーであるのかについてのインプットがされていない感じがします。まあ、良い番組だと思いました。再放送もまたあると思いますし、NHKオンデマンドでも見れますから是非ご覧になると色々考えさせられると思います。

さて、この番組でもしきりと「イノベーション」という言葉が登場していました。イノベーションとは何か、まずその定義から確認しましょう。

イノベーション - Wikipedia

イノベーションは新しい技術の発明、Invention(インベンション)ではないんです。用いられる技術というのは陳腐で古臭いものであっても構わない。新しい切り口、とか言われていますけど、要は社会的意義が重要であって技術をどの様に用いてより良い社会づくりに貢献するのかという意志が無いとイノベーションは起こらないわけです。極論すれば、イノベーションにサイエンスは不要かも知れません。自分の学術的関心やそれを溺愛してしまうことはイノベーションの妨げですらあるでしょう(古いタイプの理系にありがち)。

果たして、政治家も、役人も、企業経営者も、もっとイノベーションを!と叫ぶわけですけど、実態はどうか。上記の経済学者の多くも指摘していますが、イノベーションを最初に定義したシュンペーター的なイノベーションが、社会の発展や豊かさ、幸福度を向上させてきた時期があったとしながらも、最近は社会的意義のためではなく、単にライバルに打ち勝ち、淘汰するための手段として、本来必要でもないものを必要と思わせる新しいネタ探し、アイデア出しの様になってしまっている、そうした悪いイノベーションが良いイノベーションを殺している、というのです。それ、分かります。深圳のB級ベンチャーなんて完全にそうですし、日本も怪しいものです。それをイノベーションと言いつつ、一体どういう理念があり、どの様に良い社会形成に貢献するのか、という社会的意義のためではなくて、如何に商業的に成功するか、競争に打ち勝ち、利益を上げるかという経済的意義だけが新しいモノやサービスを生み出す動機になっているところがあります。もっと酷いのは、圧勝する巨大企業が誕生したことで、イノベーションを阻止する動きまであるということです。例えばアマゾンやマイクロソフトなどは、元々はイノベーションを起こして社会変革を起こした、アメリカの発展の原動力でした。ところが、企業買収、いわゆるM&Aを通じたライバル潰し、邪魔な存在だとしても重要なオルタナティブであったはずの同業他社潰しが進行し、進化の原理である代謝のメカニズムが破壊されてしまいました。さらには、そうした民間会社が病院、学校、交通など、公共性の高い事業にまで手を出し、そうした公共サービスの健全性さえ危ぶまれています。

科学技術による人類の前進を信じて、自然科学と工学技術を志した理系の同胞、もちろん学生諸君にも呼びかけたい。そんな単なる金儲けの手段に利用されることは嫌ではないですか?声高にイノベーションを主張する人がいたとして、それがどんな理念に基づくのか、そこはしっかりと自分で判断した方が良いです。というか、自らが理念を持つことが必要であり、だからこそ世界に目が見開かれていることが大切だと思うのです。何度も言っていますけど、知ること(学ぶこと)はまず大前提です。無知からは何も生まれません。しかし、批判的精神をもってそれを咀嚼し、知ったことから想像力を働かせ、気づくことが自分を導く本当のチカラになります。それを怠ると、とりあえず強そうな人についていこう、となってしまいます。その先に地獄が待っていたとしても。良い物(知識とか技術とか)を持っていたとしても、それをどう使ったら良いのか分からない(アイデアが無い)。だからそれを悪用しようとする人にさえ協力してしまうかも知れない。世間知らずのマジメな理系の悲しい末路です。

(経済)成長の無い時代、世界の分断と気候変動によって今までの当たり前を維持することが困難となる時代において、幸福な社会の形成に資する社会的意義の高いイノベーションが求められています。それは、再び巨大なマネーを生む金儲けであったり、気候変動を無関係にしたり、有り余る程のモノに溢れた世界を実現するためでないことは明らかです。火星移住でもありません。成長(膨張)よりも持続する幸せが最も高い目標となった今、イノベーションの意義を取戻し、本来の、本物のイノベーションを起こす人たちが救世主となります。創業時はイノベーター集団であっても、一度成功拡大し、その経済的価値を保つことに必死になっている大企業(とそれに従属する弱い理系)にはイノベーションは起こせないでしょうね。イノベーションへの熱い情熱を持った人は、自ら起業すべきだと思います。サイエンスが足らないのは何とかなりますが、世間知らずにはイノベーションは起こせませんね。新しい挑戦者を社会が後押しして欲しいですね。寛容にね。

2023年1月25日水曜日

慢性デフレと急性インフレ

 東大の渡辺努先生が指摘する、日本固有の病、慢性デフレと急性インフレの同時進行について色々考えさせられました。

渡辺努「世界と日本の物価に何が」 NHK解説委員室

今朝のおはよう日本でもこの話題が取り上げられ、渡辺先生が解説していましたね。まず、現在直面する急激なインフレの直接要因は、実はウクライナの戦争ではなくて、パンデミックによる物流停滞である、と。確かにデータ的にはそうです。ただ、このウクライナ戦争が世界の分断と不協力を決定的なものにしていて、健全なグローバル経済への回帰をほぼ不可能にしてしまったことが問題で、必ずしもインフレという形でなかったとしても世界経済の悪化が一層進む要因となってしまったのは確かです。そして気候変動による自然ブレーキ、これも忘れてはなりません。

起こってしまったことを今さらとやかく言っても仕方ないのですけど、やはり日本の場合、バブル崩壊後30年以上に渡る低成長の悪影響が出ていますね。しかし、それを放置したのは、再び成長出来ると信じて、過去の成功にしがみつき、有りもしない成長を訴え続けて何も有効な対策、抜本的な社会構造の変化に取組んで来なかった政治の失敗、社会全体の失敗でもあると思います。今日に至ってはっきりとしていますが、もはや「成長、成長、成長!」と叫ぶことは本当に馬鹿げています。そんな余地はありませんし、実は必要さえないのです。むしろ萎縮していく経済の中で、どうやってQoLを保ち、安全安心で幸福な社会を作っていくのかが重要です。

戦後の経済成長の原動力は、必要なモノを不安無く獲得することにありました。今では死語の様にも聞こえる「衣・食・住」です(自動車さえ入っていませんね)。もちろんここで言う衣は最新トレンドのファッションではなくて、身を守るための衣ですし、住は豪華絢爛な住宅ではなくて、雨露をしのいで寝ることが出来る場所です。本当の意味での必要品です。そうしたモノの充足を真っ先に成し遂げたのがいわゆる先進国でした。グローバル経済の時代には、これが新興国、途上国にも降りていって、一旦はモノの充足は果たされたかのようでした。そして、人間の飽くなき欲望は、次の成長を目指し、本来不必要なモノを必要と思わせることに集中していきました(QoLの誤った解釈)。それを誘導したのも先進国です(そこに住む人が先進的なわけではありません、むしろ古い概念を捨てきれない遅れた人たちです)。モノからコトへ、コトからトキへ、と何だかよく分からない豊かさを追い求める時代が始まりました。挙句の果ては、火星移住とかどうしようもなく馬鹿げた話がまことしやかに語られます。地獄の地球から抜け出して天国の火星に移住?ニューフロンティアとして熱い視線が注がれる火星が天国だかどうだかは知りません。仮に天国だとしても、はっきりしているのはそこに行ける人は他の多くの人の不幸を踏み台にしたごく一部の成功者(?)だけです。イーロン・マスクのたわ言にあこがれる方、あなた達の大半は地獄の地球に残る方なので、そのことは理解しているべきです(かく言う私も絶対地獄に残る方です)。もはやフロンティアは存在しないのです。しかし遅れてやってきた中国は、14億人の欲望を満たすために、一帯一路侵略構想を掲げ、実行しています。貧しい国を豊富なマネーで毒し、あわよくば経済成長してもらって中国経済圏の一部とする、成長しなくても中国に従属せざるを得ない状況に陥れる。最貧国を無理矢理フロンティアにしようとする中国新帝国主義です。今やアメリカ式帝国主義もその終焉を迎えつつあるのです。過去に永遠の繁栄を遂げた帝国は一つもありません。凋落の後には非常な苦しみが待っています。中国が責任ある大国を自称するなら、貧乏な国をその魔手にかけるべきではありません。それは続かないし、必ず悲惨な最後を迎えます。そんなだから、世界から信頼が得られないのです。

技術によるニューフロンティアは現実か?スマートホンや、その他のICTが一種の夢を見させてくれた時期もあったと思います。低成長の日本では、そうしたサービスもどんどんチープな売り物へと転落していきました。それも無理はありません。スマホの画面で美味しそうな食べ物の写真をどれだけ見ても、お腹は満たされないのです。そして今日、リアルバリューとしての食品の価格が急速に上昇し始めました。過去30年、供給は満ち足りていたので、賃金が上がらない中で物価上昇も抑え込まれたのです。それでも、一時期の牛丼安売り競争に記憶される様に、食事の質を落としてでも経済的ゆとりを追い求める、生活のステルス値上げに奔走した時期もありました。もう20年近く前ですかね。あの頃、極端な牛丼安売り(一杯250円とかだった)を私はヤバイと思っていました。そのことを当時ウェブにも書いていたのですけど、もう残っていないですね。よく世界経済(地域経済においても、ですけど)はケーキの取り分と対比されます。誰が一番大きなピースを得るか。しかし、これさえ問題とならなかったのは、従来は「ならば新しいケーキを焼けば良い」という仕組みが機能したからです。途上国には途上国用のケーキを大量に焼きました。ところが、もうその資源は残っていないのです。いよいよ、ケーキの取り分を決めなくてはならない時代に突入しました。世界にまだ未開の地、フロンティアが多く残されていた、人類の冒険の時代は終わったのです。これからはケーキがみんな(今は80億、いずれ100億)に行きわたるようにして、それを持続する仕組みを作らなくてはなりません(そうしないと、不幸を生む)。そして、「モノへの回帰」が迫られることになります。ここで言う一番大切なモノは食糧であり、エネルギーです。そこに健康長寿も加えたいところなのですが、それさえ贅沢な様に思われます。人はある程度時間が経ったら死ぬべきなのです。自然の摂理に反してまで長生きしようとするのは、究極的な強欲さの様にさえ思えます。自分が死ぬことも嫌だし、愛する人を失う苦しみは誰にも味わってほしくない、と思いつつも、それを受入れることも人が生き物として持続し、この世界が持続的であるために必要なことだと思えます。

最初の、慢性デフレと急性インフレの話に戻ります。日本がとてもマズいのは、日本人が成長しない経済に慣らされ過ぎてしまっていることです。先のリンク上にあるグラフを見ると分かりますが、電気とかガソリンとか、エネルギー価格は容赦なく上がっているのに、大半の物品やサービスの価格は日本では据え置きなのです(欧米は違って、全部上がっている)。前者が急性インフレであり、実はこれが実体経済を表わしています。エネルギーには途中に付加価値の追加がほとんどありませんから、実際の価格が即座に小売価格に反映されます。ところが、賃金が上がらないのに価格を上げるわけにはいかない、上げればお客さんが離れて行ってしまう、という従来からのメンタリティーが健全なインフレを阻止する社会的な雰囲気を生んでいます。エネルギー価格の高騰は、食糧はもちろん、全ての製造業、さらにはサービス業に対してもコストの増大を招くハズです。しかし、今は我慢すべき、とコスト上昇分を必死でカバーし続けようとしているのです(涙!)。このコスト上昇が一過性であるならば、嵐がやむのを待つことで再び青空を拝めるのかも知れません。しかし、それは相当ありそうにないこと、です。パンデミックと戦争、気候変動のトリプルパンチで、今後コストが低下する見込みなどありません。むしろ上昇し続けます。とすれば、本来はしかるべきタイミングで価格を上げなければならないのですが、日本では空気の支配がそれを妨害しています。これが慢性デフレを生んでおり、今ここで金利を上げたりすれば、一層守りに走り、限界を越えた我慢をしてしまうことでいずれ死に至ります。

このまま行くと、何が起こるか。まず中小企業がコスト増大を価格転嫁しきれず、廃業に追い込まれることになります。エネルギーや肥料の価格高騰に苦しむ農家も同様です。食べ物を作ることをやめちゃうかも知れない。そうすると、食糧も物品もサービスも、サプライチェーンが一気に崩壊することになります。内容は向上していないのに段々と価格が上がるインフレと賃金が上がらないために生活の質が徐々に低下するならまだマシな方です。賃金上昇よりもインフレが先、でも人は何とか生きていくでしょう(特にお金のある国では)。しかし、恐ろしいのは、今社会を蝕む病の進行に対してその処置が遅れて、ある時急死してしまうことです。日本の場合、社会の雰囲気が価格上昇を抑え込んでいて、みんな我慢してしまいます。それが病の進行への気づきを遅らせてしまうのです。ある時、サプライチェーンが一気に破綻して、お店の棚から食糧や色々な商品が消える、あったとしても以前の10倍以上の価格で誰も買えない。苦しいけど何とかなっていた状態から、急死状態に転落する、そんな大パニックの状態に陥りそうで心配です。先述の渡辺先生は、今こそ賃上げと経済成長の好循環への回帰を生むチャンスであって、今年の春闘での賃上げが正念場、とおっしゃってますが、それはやはり経済成長は(今はしていないだけで)する、出来ること、という考えが背後にある様に思います。世界の分断対立、資源枯渇、気候変動の中で、もはや成長などあり得ないでしょう。賃上げに対して、まずは大企業が模範を示し、の様な考えも間違っています(経団連!しっかりせい!)。まずは中小企業の賃金を強制的に上げる、その負担分は政府が支出し、必要な財源は大企業の法人税増税(中小企業が吸い取られた分を取り返す)で賄う、というぐらいの社会主義的分配の仕組みが無ければ、必ず弱い立場の者が先に死へと追いやられます。中小は契約が切られない様に必死に我慢していますが、それにあぐらをかいているのは大企業側です。中小の仕事が無ければ大企業の仕事も成立しませんよね?出来るというなら全部自前でやったらよろしい。それだと採算が合わないので、中小から搾取することで利益を得てきたんでしょ?もうそれは続けられない、正当な対価を与えないとならない、ということです。

だから、インフレに対応して賃上げしても、成長すれば良し、というのも古い考えだと思います。欧米も早晩壁にぶち当たって今よりもっとひどい目に遭います。長年の低成長時代を経験してきた日本は、むしろ将来に渡っても成長しない世界の中でどの様に持続可能な幸せを守るのか、という戦略のシフトが必要と思います。西洋人は金への執着から抜け出せず、滅亡への道を歩み続けます。日本はアメリカと運命を共同すべきではありません。一旦覚えてしまったお金の味を忘れることは難しいでしょう。しかし、日本人の豊かさを生んでいたのは物質的欲求が満たされることだけではなかったハズです。ベンチに置き忘れた財布が警察に届けられる素晴らしい国でした(過去の話ですかね?)。隣人を大切にする思いやりに溢れた社会を取戻すために、今ある資源と長年培ってきたテクノロジーを有効に利用して、今まで地球上に存在しなかった持続可能な社会システム、増えも減りもしないけど心身共に豊かだと感じられる新しい日本を目指して欲しいと思います。その実験を試みるのも政府の務めだと思いますね。


2023年1月19日木曜日

ウクライナ10

 最終決戦!になるかどうかは分かりませんが、大きな戦闘が近々始まることはほぼ確実です。

「ロシア・ウクライナ最終決戦」の予兆…! 歴史の教科書に載るであろう「大きな戦い」が近づいている (msn.com)

ドニプロ市の民間アパートにロシアのミサイルが着弾し、子供を含む40人以上の民間人が亡くなるなど、戦争の被害は拡大を続けています。ウクライナ軍は侵略者に対して勇敢に戦い、占領された地域を一部奪還するなど、一進一退の状況が続いています。ウクライナはもちろん、ロシアもまたこの戦争を早く終わらせたいに違いないですが、自らの大義を果たすことが前提であり、現状での停戦は全く望めません。

昨年末からずっと噂されていますが、一度失敗したキーウ陥落を目指したロシア軍の総攻撃が近づいています。ベラルーシ軍とロシア軍の合同演習がその予兆であることは間違いありません。果たして、ベラルーシ軍も参戦するのかどうか。ロシアに対してNOとは言えない、強制的に従属させられるベラルーシですが、それでも独立国ではありますから、もしもベラルーシが参戦すれば、戦争の枠組みが拡大することになってしまいます。

欧米からの支援を引き出す、ウクライナのゼレンスキー大統領は、ロシアにとってとても邪魔くさい存在だと思います。ウクライナ東部への猛攻撃と同時進行してウクライナ軍を分散させ、場合によっては戦術核も投入して、今度こそキーウを掌握して現政権を葬り去ること、ウクライナを無政府状態に陥らせることを狙ってくるでしょう。この戦争が現大統領間の交渉によって終結することはとてもありそうにないです。

しかし、恐らくはロシアはこの軍事作戦に失敗することになるでしょう。NATOは最新鋭戦車や迎撃ミサイルの投入を急ぎ、ウクライナ軍の勝利を確実にすべきです。今回、ゲラシモフ氏を総司令官とした総攻撃を仕掛けてそれに失敗すれば、プーチン大統領は急速に求心力を失うことになると期待出来ます。そうなればロシア兵は一層戦意を喪失し、国内世論は戦争不支持に傾き、弱体化は決定的になると思います。その後ウクライナ軍が東部を奪還し、ロシアを敗戦へと向かわせる道筋が見えてきます。ただ、そうして大人しく負けてくれるかどうかです。追い込まれたロシアが核の使用に踏み切ることが容易に想像出来ます。ウクライナがロシア本土を決して攻撃しないことが重要です。核使用の口実を与えてはいけません。そこが問題で、既にロシアは東部四州を併合したと一方的に宣言していますから、これらが奪還されることをロシアへの攻撃、ロシアの存続が脅かされる事態(核兵器の使用を正当化する理由)と見なすことが十分考えられます。

だから、この戦争は世界をその終わりへと導く可能性がとても高いのです。核が使われることのないままロシアが敗戦することを心から願っています。本当は、ロシアの人たちにも死んでほしくはないですが、残念ながら皆さんのリーダーはあなたたちの命を何とも思っていません。だから、この戦争を早く終わらせて、新しい未来のために立ち上がって欲しいです。私たちは(少なくとも私は)ロシアもロシア人も見捨てたりはしません。

2023年1月18日水曜日

ステルス値上げ

 昨日再放送があった、BS1スペシャル面白かったです。資本主義というのは、絶対的なものではなくて、人類の発展の歴史から見ればある一つの形態に過ぎないですよね。

欲望の資本主義2023 逆転のトライアングルに賭ける時 - BS1スペシャル - NHK

色々論点はあるのですけど、今回は短く。機会があったら再放送見て下さい。この番組で日本の経済学者の方が話していた、ステルス値上げの話に考えさせられました。まず、日本の物価というのは、エネルギーとかが極端に上がっている一方、日常的なモノは驚く程値上げされていないんですよね。それは、社会を取り巻く不安が背景にある様にも思いました。賃金が上がらない中で、仕入れのコストが上がったからと言っても値上げは出来ない、そしたらお客さんが離れて行ってしまう、という恐怖もあるのかと。それでも、実際コストは上がってしまうので、値上げしなければ利益が圧迫されてしまいます。そこで出てくるのがステルス値上げで、例えば今まで一袋に10個入っていたソーセージが、いつの間にか8個になってる、とかそういうヤツです。実質的な値上げですよね。

それで、そこから先が面白かった(面白がってはいけない深刻な話)。労働の対価として受け取る賃金もまた、上がらない状況が長く続いているわけです。しかし、より良い仕事というのは、より良い生活のために引き出せるわけで、賃金が上がらないとどうなるか。「労働のステルス値上げ」が起こるんです。つまり、同じ賃金であるならば、より少ない労働で同じ対価を受け取ることによって実質的な労働の値上げを実現しようとする。政府は副業を持つことを奨励していますけど、それもフルタイムで目いっぱい仕事をしていたら出来るわけないですよね。少ない労働、例えば定時で帰ってしまい、その後出来た時間を使って副業をすれば、そこからも収入を得ることで合計の収入として本当に賃上げすることも出来る。人によってはそんな意欲と才能も無いから、副業なんてない、ということもあるでしょう。とにかく、この話が鋭く突いているのは、賃金が上がらないと、仕事の質を下げることによる労働のステルス値上げが起こるということです。最近の日本の雰囲気って、本当にそうですよね。

しかし、これに当てはまるのは、「仕事をさせられている人」だとも思いました(大半はそうですか?)。やりたいからやっているわけではなくて、賃金が労働の対価であるならば、ステルス値上げのために出来るだけ仕事をしない方法を考えるでしょう。一方これとは無関係なのは、やりたいことをやっている人たちです。仕事は自己実現のためであって、そこに目的目標があるから頑張っているのであれば、仕事のコストなんて考えないですよね。我々学者の仕事も本来はそうです(最近はどうだか知らない)。あとは、やっぱりベンチャー企業ですよね。お金儲けは結果であって(もちろん実現出来ないと存続できないけど)、これまで存在しなかった新しいモノを世に届けて世の中の常識を変えたいとか、事業の社会的意義のために頑張っているのであれば、金銭的な損得は頑張る/頑張らないの基準とはなりません。昔の日本企業は、ベンチャー的であったと思います。もちろん、経済成長の中で賃金も上がったから、労働者のやる気も引き出せたわけですけど、例えば自動車を作ることについても、自動車を通じた良い暮らしを提供したいという社会的意義のために頑張ってきたのだと思います。ところが、今は必要品を作る事業は飽和して、不必要なものを必要と思い込ませることで利益を生み出そうとする傾向が強くなっています。社会的意義よりも経済的意義だけになってしまいました。例えばコカ・コーラの話もありましたけど、コカ・コーラは世界の人口増加とほとんど全ての国で販売されている販売網の拡大によって事業を拡大してきました。しかし、人口増加が鈍化する中、清涼飲料水の販売拡大は望めないわけです。利益拡大のために値上げすることも出来ない。そうなると、例えば他社製品に対する優位性を刷り込むことで、シェアを拡大する以外になくなります。一時期、ライバルのペプシが目隠しして2つのコーラを飲んでもらって、「どっちがおいしいですか?」とたずね、ペプシだったのを見たお客さんが「エエー!」と驚くっていうCMをやってましたね。そういうのが今後は増えるんでしょうか。

最後に、ステルスで検索していたら、「ステルス改憲」という記事が出てきました。これも面白かったので、紹介しておきます。本当、酷いよね。みんな騙されている。

ヤバいのは防衛増税だけじゃない!岸田政権が強行する「ステルス改憲」で“戦争ができる国づくり” (msn.com)

2023年1月12日木曜日

セルビア

 世界は広く、複雑です。いつもアンテナを立てて情報を吸収しているつもりなんですが、全く知りませんでした、セルビアのリチウムのこと。昨晩夜遅くに、NHKの「BS世界のドキュメンタリー」という番組で、オランダのTV局が制作した番組が放送されていて、セルビアのリチウム争奪戦が取り上げられていました。

「リチウムを獲得せよ! 欧州エネルギー安全保障と新秩序」 - BS世界のドキュメンタリー - NHK

リチウムの生産については、独立行政法人エネルギー・金属鉱物資源機構JOGMECの下記ページに詳しく説明されていました。

リチウム生産技術概略|JOGMEC金属資源情報

リチウムは南米に多く、特にチリが地球全体の60%を占めるということですが、採掘が進んでいるのはオーストラリアで、生産量は世界一のようです。しかし、掘り出してそのまま使えるわけではもちろんありません。南米では主に塩湖のかん水に含まれたリチウム、オーストラリアはリチウムを含む鉱石が原料のようです。いずれの場合も、当然ながらナトリウム、カリウム、マグネシウムなどの不純物を沢山含みます。原料の状態に応じて色々な方法が用いられていますが、溶解度差を利用してリチウム分を増すことや、イオン交換膜と電解による濃縮も行われているようです。天日干しというのは平和な感じがしますが、鉱石だと1000℃以上で焼いて硫酸に溶かす、とかするみたい。塩化物、水酸化物、硫酸塩などを経て炭酸リチウムになり、そこからさらに製品(電池用の電解質)に加工されるようです。ちなみに、炭酸リチウムは既に100ドル/kg以上、10年後にはその10倍ぐらいの価格になると言われています。いずれにしても、生産に相当エネルギーや薬品を使い、廃液を生成するのは明らかですね。このダーティーワークを請け負っているのは中国で、オーストラリアで産出された鉱物は中国で炭酸リチウムになり、出荷されるようです。そればかりでなく、中国は世界中からリチウムをかき集めています。なにせリチウムイオン電池の80%は中国製ですから。

さて、冒頭のセルビアの話に戻ります。先のウェブには触れられていませんが、なんと、世界の埋蔵量の10%がセルビアにあることが分かったようです。そして、その採掘権を巡って激しい争いになっているのです。リチウムイオン電池は蓄電装置であって、発電施設ではありませんが、太陽光や風力によるクリーン電力拡大のためにも、そしてモビリティーの電動化のためにも、リチウムは欠かせないわけです。携帯電話とかのモバイル機器はもちろんです。グローバルなカーボンニュートラルへの流れに対して、特にそれに前のめりなEUにとって、ヨーロッパにリチウムがある!というのは朗報なわけです。これもまた、中国の賢さ、したたかさを認めないわけにはいかないのですが、今リチウムの生産はほぼ完全に中国に支配されていて、EUはリチウムを内製したいのです。それがはっきりしたのは、やはりこの戦争の問題でもあります。ロシアのガスに依存してきた(特にドイツ)ことのリスクの大きさをEUは痛感しました。そして、中国も同様に「信用できない国」と見なされているわけで、EUの未来(他の地域もそうですけど)を担う資源をそうした信用ならない国に依存するわけにはいかないと。

そこまでは、見つかって良かったね、の様にも聞こえるのですけど、そっから先がえげつないです。セルビアって、どんな国かよく分からないですよね?

セルビア - Wikipedia

はい、以前はユーゴスラビアでした。内戦を経てバラバラになったうちの一つがセルビアです。テニスのジョコビッチの国ですよね。そもそもユーゴスラビアが多民族国家だったので、元に戻っただけとも言えるのでしょうか。ヨーロッパのこの地域、スラブ民族の歴史って本当に複雑。重要なのは、セルビアはEU加盟国ではないということです。人口約700万人でGDP87位、決して裕福な国ではありません。そうすると、このリチウムの発見は、セルビアの人にとっても朗報か?EUはオープンアームで「ようこそEUへ!」ってな感じでセルビアのリチウムに群がっているのです。そこにはちゃっかり、中国の姿も!セルビアのリーダーにとっては、良い話ですよね。特に何の強い産業も無いわけですから、リチウム資源の開発でグリーンディールに組み入れられ、経済エリートへの道が開かれるならば、それは同国民にとっても良いことではないかと。しかし、そう簡単にはいきません。番組でインタビューに答えていた、反対派住民代表の農家のオジサンがカッコ良かった。「オランダで、1000人が住む村の下でリチウムが見つかったとして、その採掘のために村を消滅させることが認められますか?」と。もっともです。我が家の下に白金が見つかっても、家を壊されたくありません。

しかし、これは持続可能な人類の未来のため!と正義を振りかざすわけですね。それ本気で言っているのでしょうか?番組ではユーゴスラビア時代の炭鉱跡も紹介されていました。見渡す限りの荒れ地です。公共の利益のために、村が破壊されて穴ぼこだらけにされた土地です。人が住んでいない森を切り開いて農場にしたり、太陽光発電所を建設することや、海に巨大な風車を建てることも疑問ナシとはしませんが、さすがに自分の生まれ故郷が破壊される様は見られませんよねえ。しかし、事実としては着々と進められようとしているみたいです。色々な資本が入り、村の土地が買収されているということでした。反対派の意見に賛同の声が集まり、セルビア政府は採掘を禁止するように方針転換したようですが、まだこの先目が離せません。

セルビア:Jadarリチウム鉱床からのリチウム輸出の禁止を計画|JOGMEC金属資源情報

食糧、エネルギー、鉱物資源の争奪戦は今後一層激しさを増すことでしょう。いずれの場合も、出来るだけ多くの人にちゃんと行き渡るように、とか、持続できる様に、と言う考え方が無くて、売れるからどんどん作る、みたいな考え方が支配的であるのが問題です。例えば、ドイツの高級車メーカーが作る化け物みたいなEVは、明らかに不必要な程デカい電池を積んています。それを欲しがる人、買える人がいるのですから、「もっとリチウムを!」となりますよね。ちなみに、リチウムイオン電池のリサイクルはまだ殆ど進んでいません。

まあ、リチウムは決してレア元素ではないので、今回のセルビアの様に世界のどこかで新たに見つかるリチウムもあることでしょう。石油がいつまで経っても無くならなかったように。しかし、今の様な状況を放置しておけば、早晩地球が穴ぼこだらけになることは間違いないです。そうなった時に、それでもやってきたことは正しかったと思えるかどうかですね。このリチウム騒動のことを知り、一層持続性の難しさを感じました。

2023年1月7日土曜日

カーボンニュートラルというビッグビジネスチャンスと鉱物資源危機

 昨年11月に行われたシンポジウムで産総研の近藤先生から基調講演を頂きました。エジプトで開催されたCOP27に参加されていたそうで、そのことも話題になっていました。特に印象に残ったのが「それが良いことか悪いことかは別として、事実としてカーボンニュートラルはビッグビジネスチャンスとなっている」という話でした。COPでは各国政府の代表が気候変動対策の枠組みを議論する会議だけでなく、併設されるパビリオンで脱炭素に関する技術見本市も開催されます。エネルギー消費やエミッションが大きい従来型の産業やサービスに未来はなく、銀行もお金を貸してくれなくなります。一方それを大きく変えていくクリーンエネルギーやローエミッションな産業技術には将来性があり、各国が血眼になって自分のところの技術やサービスを売り込もうとしているわけです。まさに、カーボンニュートラルはゲームチェンジャーであり、社会や産業のシステムが大きく変わる時、勝者と敗者が生れることになるでしょう。だから、従来通りのメンタリティーでもって、勝ちあがりたいですから、これはビッグチャンスなわけです。しかし、そこには大きな落とし穴がある。

長引くコロナによる停滞に戦争の影響も加わって、世界経済の主役級の国々で好景気に沸く国などありません。失策としか思えないゼロコロナで自らの首を絞め、不満の矛先が政府に向かった途端に方針の変更というより崩壊が起こって酷いことになっている中国ですが、2023年は反転攻勢、GDP5%増を目指すようです。延期されるハズだった広州モーターショーが急遽開催され、中国メーカーは様々な新型EVを登場させたようです。

中国 感染拡大で延期した国内最大のモーターショー急きょ開催 | NHK | 中国

さすがの中国も、2022年の自動車販売台数は減少に転じてしまったようですが、EVを軸に内需を拡大して(輸出が伸びないし)経済成長のエンジンにしたいということなのでしょう。しかし、中国のエネルギーインフラを考えると、そのEVに使う電力は相変わらず石炭由来です。14億の人口と広大な国土にクリーンモビリティーを行き渡らせるのは容易ではありません。ならば太陽光発電や風力発電も拡大して、となりますが、これらカーボンニュートラル社会実現に向けた新しい産業技術は全て鉱物資源への依存が極めて高いという問題が浮上します。

EV、風力発電、電化社会・・・脱炭素時代にとるべき鉱物資源戦略とは | EnergyShift (energy-shift.com)

リチウムイオン電池に必要なリチウム、コバルト、ニッケルなどだけではありません。強力な磁石に必要なネオジム、ジスプロシウムなどのレアアース、さらには電線に必要な銅さえも、供給不安、価格高騰のリスクがあります。上記ウェブからもリンクされている、資源エネ庁がまとめた資料を見ると良く分かります。地球上に遍在する鉱物資源の地政学的リスクもそうですが、その原料を精製した化成品の供給がかなり中国に支配されています。戦争の拡大さえ心配される世界の分断と対立を考えると、こうした再エネ関連産業の足元がいつすくわれても不思議ではないです。

この様な危うさの中でも、各国がカーボンニュートラルのビッグビジネスチャンスを逃すまい、乗り遅れまいと躍起になっている状況に大きな不安を感じます。「儲かるから!」地球を穴ぼこだらけにしても、鉱物資源をどんどん掘り出し、消費浪費する。持続可能社会実現の名の下に、それとは正反対な持続性を無視した様な開発を進めようとする今の状況に、相変わらぬ人の強欲さが見えます。それは、持続可能な安定を求めているのではなくて、死に急いでいるのではないでしょうか。

持続可能な食の実現のために、昆虫や雑草を食べなくてはならないかも知れない。産業技術やエネルギー消費もまた、持続可能な範囲にとどめるという方針転換が必要ではないでしょうか。

異次元の少子化対策

 「異次元の少子化対策」だそうです。また言葉遊びに終わらないで欲しいですね。一体何をしたら「異次元」と言えるのか?

岸田首相は、2023年度の目標として大規模な少子化対策に取組む目標を掲げ、関係大臣に指示、議論を加速させる意向です。それは当然でしょう。何しろ出生数は昨年度80万人を切り、予想よりも急速に少子化が進んでいます。一方で65歳以上が人口に占める割合は既に29.1%、令和18年には3人に1人になります。このまま行けば、日本の著しい衰退は避けられません。何でカーボンニュートラルのブログで少子高齢化の話題と言うことなかれ。目標は健全で幸福な社会の持続的発展なのですから、極めて重大な関連する問題です。

で、報道を聞く限り、結局金の話に終始していますね。確かに、子育てにはお金がかかりますが、お金だけが問題でしょうか?政府は子育て関連予算を倍増、それには数兆円規模の財源が必要、ということで消費税増税論が早速飛び出し激しい反発を受けています。つい先日は軍事大国になるための増税を決め、矢継ぎ早に生活に直結する消費税増税など論外です。社会は長引くコロナによる停滞とウクライナ戦争による物価高騰に喘いでいるというのに、増税などと言えば国民が支援されているとは感じないのは当然でしょう。逆に罰を与えられている様なものです。東京都の小池知事は5000円/人の都独自の支援を表明しましたね。絶妙なタイミングで格好をつけた感じです。

少子化対策、部分的対応では「異次元」にならず=小池都知事 (msn.com)

東京都はお金持ちだから、というのはあるでしょうけど、女性知事だからこそ余計にメッセージ性が強い。山形県の吉村知事もいかがですか?小さい子がいるウチは嬉しいですよ♡。いや、山形県にそんなゆとりは無いですかね。

政府の言う少子化対策というのは、今に始まったことではないです。過去の対策というのが全く少子化の抑止に効かなかったのは何故か?そこの検証が大切です。支援のお金が少なかったから、それを増額すれば「異次元」になり、成功する、と本当に思いますか?そもそも今の経済状況と日本の相対的国力が低下し続ける中で、お金を増額することなど無理だと思います。今まで一人5000円だったのを1万円にするとか、そいういうことだと増税するしかなくなります。政府は打ち出の小づちを持っているわけではありません。お金に限って言えば、むしろ振り分けが大切ですよね。このWedgeオンラインにあった記事がそれを良く説明していると思います。

「異次元の少子化対策」実現に必要なたった一つのこと  Wedge ONLINE(ウェッジ・オンライン) (ismedia.jp)

シルバーファーストからチルドレンファーストへ、まあ分かりやすいですよね。数字の上でも多数派になり、社会への支配力も強い高齢者に良い顔をし続けないと選挙に勝てないという実情もあって、高齢者への手厚い保障を切り捨てられない。しかし増税せずに子育て支援を拡充するにはそこから持ってくる以外にありません。高齢者も生産人口に組み入れられ、しっかり納税してくれるなら良いでしょうけど、税収は若年層の労働に支えられているわけですから、高齢者への保障を減らさずに子育て支援を拡充しようとすれば、必ず現役世代への税負担増となります。沢山支援しますよ、と言いつつ一方では増税に苦しめられるのであれば、ちっとも状況は改善しませんよね。まあ、以上ごく簡潔にお金のことでした。

しかし、何故結婚したくないか、子供を持ちたくないか。その傾向が続いていることはお金の理由だけではないと思います。女性を含む人口減少が続いているわけですから、出生数が低下するのは当然ですけど、未婚率が増大し、出生率が低下していることが問題なわけです。簡単に言って、社会がこの先良くなっていく様に思えない、リスクばかり感じて、希望が持てない。そういう状況だから家庭を持つなんていうのはリスクの増大としか感じられないのだと思います。命の再生産と次世代の育成に取組み(さらには労働の主力でもある)社会の持続性に奮闘する若い世代をもっと大切にしないと。それはお金を配るだけではないんですよ。日本よりもお金の無い国でも、こんなに少子化が進んでいない国は沢山ありますよ。未来に展望が持てるということと、お金が沢山あるということはイコールではないです。社会を取り巻く不安というのは、お金に対する不安だけではない。自分の将来が発展していくだろうという展望、そのためならば頑張りたいという意欲の引き出し、これが大切です。絶対値よりも微分値ですかね。微分も収入についてではないですよ。自らが社会の主役になっていくという展望と、それに対する期待です。

高齢者は多くの経験を積んできたからより的確な判断が出来る、というのは本当か?むしろ時代遅れ、古臭くなってしまった自分の経験に縛られ、判断を誤る。プライドが邪魔をして、過ちを認められない。特にタチが悪いのはジイサンです(まあ、バアサンもだけど)。そして、日本の社会を支配する人たちの顔ぶれを思い浮かべて。ジイサンばっかり。少し若い人がいても、それはジイサンの支配を完全に受けているジイサン予備軍みたいな人たち。ジイサンに異論を唱えると、排除の対象になる。もっと全世代が等しく社会参加する多様性を受入れないと。まだ言い訳は許されないけど、判断力や活力の低下は、自分自身にも感じます。一番強かった時期は過ぎたかな。人は誰でも老いていきます。当然の変化です。一方でこういう問題は以前よりもよく見えるようになったのは確かです。一通り経験したからね。

ジイサン支配は政府に限ったことではないんですよ。社会全体がそう、特に役所や大学は酷い。高度成長期を支えた団塊の世代はもちろん、その後についても今の社会で重要な地位を占めている男性は、そのキャリアのために女性を犠牲にしてきた人たちです。「内助の功」とかそういう言葉で片付けるな。学びの時、そして自分のキャリアを確立する過程において、どれ程女性に助けられましたか?女性に犠牲を払ってもらって今があるのです。自分の能力だなどと思わない方が良い。しかし、そんな人たちが「いや、これからは是非女性にも活躍して頂いて」とか言ったところで、全く説得力無いし、的外れなことをするに決まっています。今の少子化対策においても、結局子育ての主役は女性であるという考え方に全く変わりはない様に思います。かく言う自分を振り返ると、30代の頃は父親になる資格など絶対に無いような生活をしていました。だから、実際にも子供はいませんでした。自分自身が他の人をケア出来るだけの余力を持つまで、それは無理でした。だからこんなに歳を取った父親になってしまい、我が子にはちょっと申し訳ないんですけど、それでも30代の自分は親になるべきではなかったと今でも思います。今は毎日食事を作ったり、子供の勉強を手伝ったりしてはいても、それでもやはり母親である妻には大きな負担をかけてしまったと思います。やはり、彼女自身のキャリアを犠牲にさせてしまった。生き物として、子供を身ごもることも、授乳することも、女性にしか出来ないです。子供が生まれ、歩いたり話したり出来る様になるまでは特に、妻は大変だったです。子育てとは、それぐらい大変な取組みです。

結局、女性の苦労の上にあぐらをかいているオジサンには少子化対策など出来ないと思います。「異次元」を目指すならば、まずはその席を退席するのがよろしいかと。あと、ミサイルも要らないんで、そのお金を子育て支援に回した方が良いですよ。

2023年1月1日日曜日

あけましておめでとうございます

 2023年が始まりました。今さらですが、本当に2022年は最悪の年でした。56年生きてきて、こんなに酷い年は無かったと断言できるぐらい酷かったです。そして今年、事態が好転して希望を見出す年となることを心から願いますが、今のところその兆しは見えません。新年早々、こんな挨拶となってしまうことがとても心苦しく、嘘でも良いから「今年が皆さんにとって素晴らしい年となりますように!」なんて言いたいのですけど、それは本当に嘘っぽく聞こえてしまいます。

大みそか、元旦と大サービスと言わんばかりに北朝鮮が弾道ミサイルを発射しました。「お前ら勝手に安らかな新年など迎えさせないぞ」ですか。ロシア軍のキーウ総攻撃もいつ始まってもおかしくない情勢です。「願い」などと言っていてはダメなんでしょうね。自分ではどうにもならないと感じた時に、人は神様をつくりあげて、お祈りをします。ついには人を神様にして、「神風」になります。今本当に必要なのは、どうしてこうなってしまったのか、ということに一人一人が向き合い、人を愛する心、自らの幸せが他者からの愛によって支えられてきたことを思い出し、この状況を打開するために行動を起こすことだと思います。残念ながら、神様に祈ったところでその祈りは通じません。こうなってしまったことに、決して自分自身も無関係ではないのだということに、どこまでちゃんと向き合うことが出来るのかが問われています。

もしもそれに失敗し、まだ性懲りもなく「〇〇のせいだ」で片付けてしまえば、この状況は続き、悪化して、我々の知る世界は消滅することになってしまうでしょう。それがいつやってくるのかは分かりませんが、思いのほか早くやってきてしまうかも知れません。そうなってからでは遅いです。過去から学び、自ら気づき、未来を想像し、決して諦めたり投げ出したりせずに努力して、平和を取り戻しましょう!

125

 「125」この数字が意味するのは何でしょう?はい、私はオートバイが大好きで、特に手に余らず、使い切れるパワーで軽量な125ccクラスのバイクが好きです。高速道路は乗れないけど、バイクで高速道路走っても、ちっとも面白くないし、二人乗りだって出来るし、燃費良くて維持費安いし。今ウチ...